なんてこった。
吉井和哉さんの詩集が発売されるとな。
今年は絶対詩を書こう、歌を作ろう、どうしたって自分にしか出せない言葉を紡ごうとして、でもスラスラ書けるわけでもなく最弱にもごもごしているこのタイミングで。
中学生の頃から私のなにか大きなものを捧げている方なのですが
いまだに痺れさせてくれるってほんと世界は優しいとしか思えません。
あ、捧げるったって平行世界で勝手に崇めているだけで、もちろんご本人にはなんの影響もありません。ひっそりと熱く。
音も声も癖の強い視覚的なものも最高に好きだけど、核になるのはやっぱりこの人の詩なのです。この人から絞り出されたものでしかない歌詞に、どれだけとろけながら生きてきたことでしょう。
ずっと追い続けているわけでもない中途半端なソフトオタクに過ぎませんが、他の多くの幅広いファンと同じく、空気がつながっていることに感謝します。
こ、こんなのもあったんだ。開けたいけれど怖い気もするなんて複雑で新鮮な気持ちにさせてくれるのも、この人だからこそだなと手に取る前から痺れちまいます。
情報過多の現代、細かい情報を取ろうと思ったらまあできるわけですよ。
近付きたくてわかっていたくて、いろいろ費やすこともできてしまわけですが
本人から与えてもらえる素晴らしい歌にだけ、何度も何度も痺れるのが好きです。
最近ヘビロテで聴いているのはこれ。
英語の歌詞も載ってて、これまた美しすぎる。
人ってすごいなって、ほんものってすごいなって、人が生きるってかっこいいなって、涙が止まらなくなります。
救われるというよりも、おかげさまで誇り高く自分を突き上げようという気にさせてもらえるのです。いろんなしょうもないこといっぱいあるけど、醜いもの汚いものもいっぱいあるけど、美しく燃えたぎる大切なものを汚いど真ん中で燃やしていたいって、
光って熱なんだな、命って温度だなって
自分の中にあるきっと奇麗なものを磨いていくことができます。
そういえば私の子供たちにも痺れる歌を届けてくれる人はいるのだろうか。
自分がハマっていた中学生の頃と今の子供たちの環境はあまりにも違って、
濃ゆい音楽をどれだけ必要としているのかわからないけど
本物の支えを、自分をより強く美しく優しく育ててくれる存在との結びつきがあればいい。そんなすごい存在は誰にでもあるわけでもなさそうだけど、ちゃんと世界に触れて、自分の奥に結び付けて、「ある」側にいようねって。な。