(後半閲覧注意かもしれません。ただ生肉なだけですが、念のため)
少し前の話になりますが、たまたま小学生の娘たちがいるときに鹿が罠にかかったので、お父ちゃんは娘たちと一緒に解体をしてみることにしました。嘘か誠か獣医志望の長女と、野生的肉食系の次女なので、さほど怖がることもなく良い経験になるかなと、解体未経験の母は感心しながらお任せしました。もちろん私も参加してもよいのですが、なるべく口出しせずにいたかったので、少し離れておきました。
鹿の解体で欲しい部位は、内臓の一部の他、ロース肉とモモ肉、あとは余裕があればそぎ落とす感じです。まあ実はかなりしっかりそぎ落とすことが多いですが、夏場の解体は手早くが望ましいので、狙いを定めて切り取っていきます。
娘たちにとっては、自分よりかなり大きな吊るされた鹿で、初めての手伝いなので多少緊張したようです。それでも父が解体しているのを少しは見たこともあるし、怖がることも投げ出すこともなく着々と切り出していったようで、さすがのたくましさです。皮を剥いでもらった後、必要な部位を見分けて、大きな塊にナイフを入れて、ざーっと切り出していく感覚をどう受け止めたのでしょうか。なかなか言葉にするのは難しいし、問い詰めることはできませんが、静かに感じた何かを持ち続けていて欲しいと思います。
私が精肉するときは、もうすっかり「個体の鹿」から「鹿肉」になってはいますが、モモ丸ごととか肝臓そのままとかであるとやはり、少し前まで脈打っていたことを感じます。ただそうかといって可哀想とか残酷という先入観はなくて、しっかり命をつなごうと深い感謝に包まれて包丁を入れるのです。そして大きな肉を一気に切る感覚は、なんとも言えず気持ちいいというのが偽らざる本音なのですよ。
さて、鹿解体の経験で、長女は達成感を得ました。彼女が切った一番いい部位(ロース)は東京の叔母に送られ、すごく喜んでもらえたので、満足度の高い仕事になったようです。
次女は自分の目で大発見をしました。父に見せてもらった鹿の心臓がハートの形ではないということに驚いていたようです。身体の中にハート型があるイメージだったのは彼女だけではないでしょう。まな板の上で改めて見ても、確かにハート型とは言えません。内臓が苦手な方にはウッとなりそうなほど内臓そのものですね。
でも、これを半分に切ってみるとどうでしょう。
あら、なんだかハートが出てきましたね。腕が良ければ金太郎飴のように薄いハートを次々切り出していけそうです。
心臓は確かにハート。でもそれは外から見てもわからない。ここから発想を展開させるほど彼女はまだ考察力も経験も持ち合わせていないけれど、命と愛について、いつか閃くことがあるのかしら、と頭でっかちな母はそっと思うことにしました。