勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

ある夏の日、母は待っていた

私が今日一日いつも以上にどうにもボケーっとしているのは暑さや湿気ばかりのせいではありません。

 

人生の片腕とも言える自慢の長女が学校のみんなとキャンプに行ってしまったのです。このキャンプはなんと前校長先生が手を挙げて応募してくれた功績なのです。環境の違う小規模校ニ校が交流するのを応援する事業で、大手銀行の支援を受けて今年初めて実現しました。同じ三重県内でも奈良に近い山村の飯高にある香肌小学校と、鳥羽市から海を隔てた島の一つにある小さな学校同士が今日初めて顔をあわせるのです。夏は海水浴ができるので香肌小学校が島まで遠征し、一泊してきます。そして冬は雪を求めて飯高まで来てもらう計画です。小学校のうちからこんな交流ができるなんて娘の強運さには驚きます。

 

香肌小学校では例年は夏休みの前日に校内キャンプを行っていて、体育館にテントを張っての宿泊は5、6年生のみですが、飯盒炊さんやキャンプファイアー、フォークダンスまでは3、4年生も参加して、あとから保護者も卒業生も加わって、みんな大好きな楽しい夜になります。今年は交流キャンプになったので校内キャンプはなくなって残念ですが、新しい経験にチャレンジさせてくれる学校は本当にありがたいです。

 

そしていよいよ本日香肌小学校から5、6年生8名が出発しました。引率は7名の先生方で保護者要らずです。今年度PTA会長のお父ちゃんがなんとか理由を付けて引率できないかと、単に海や島に行きたいがため考えて娘に煙たがられておりましたよ。

 

大きなリュックで荷物を作って、いつもよりシャキッと早起きして出発した娘が眩しかったです。

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夏休みに入って、毎朝自分たちでお仕事を決めて、長女は朝の洗い物を担当しているのですが、いつもの登校時間くらいの出発時間だったため

「ママ、お仕事できなくてごめんね。代わりにやってくれてありがとう」と言い残してバスに乗り込んで行きました。

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朝靄に消えていくバスを見送るなんと切ないこと。日がなボケーっとしかけましたが、保育園の送り迎えもあるしパートもあるし、なんとか平常運転です。何もなかったら廃人同様であったことが想像にかたくないので、ほぼ当たり前の立場のことではありますが、用事のある身で助かりました。

 

今頃電車だろうか、船に乗っているのだろうか、だんだん打ち解けているのだろうか、海水浴をしているのだろうか、日焼け止めを忘れてないだろうか、トンチンカンな話題で滑っていないだろうか。考えてしまいそうになることを膨らませずにいるのは私にはとても難しいです。

 

あまり子供に引きずられるのは私のためにも子供たちのためにも良いことではありません。依存し過ぎて別個の人生を尊重し合えないという弊害はありそうです。かといってあまりサバサバし過ぎるのも子供を寂しがらせてしまって、根の深いすれ違いになってしまってあとで取り返すのが大変かもしれません。大事な思いが伝わっていれば構わないけれど、兎角お互いを信頼し過ぎてコミュニケーションを自己中心的に済ませてしまうのが家族の危うさなので、関心がないようであったり心配しなさ過ぎは私にはできそうにありません。下手すればモンペ、ってくらい子供に寄せる関心は強いものなので。でも私の一方的な思いを貫き通さないように、先回りして子供のことを決めつけてしまわないように、いつもちょっとクールを心掛けてはいるのです。どの口が言うのかと自分でも呆れますが、「子供の人生が我が人生、逆もまたしかり」てことはないのです。執着し過ぎないように子沢山に分散し、且つ生活を苦しくして子供の足を引っ張る暇と余裕がないようにしているのです。

 

それでも長女の不在は魂の一部が抜ける思い。それでもこれはまた双方に本当に大事な経験だと思うのです。長女にとってはもちろん新しい世界の広がりと、成長を実感して楽しんでくること。そして私にとってはとことん寂しさを味わうということ。携帯のない長女と連絡をとる手段はありません。あったとしても、旅先から連絡をすることは望みません。それは単に私が昔ちっとも親に連絡しなかったので因果応報として銘記しているのですが、ただひたすら帰りを待つことだけが私にできること、というのはある意味ロマンチックですね。

 

募る思いを持て余しながら、一回り大きくなって無事に帰ってくる娘を迎えることが喜びでありますように。親であるのはどんな側面も極上だなと、ちょっと気持ちが落ち着きました。