勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

こどもが育つのをめでたいと思う日

五月五日はこどもの日。それこそ子供の頃から変わらない認識で、何か誇らしかった日です。姉妹なので鯉のぼりもかぶともなかったけれど、祖母も一緒にご馳走を食べた覚えはあります。とはいえその頃から、子供というだけで一律に祝われるのは不思議だなと感じてはおりました。「年が明けた」「誕生日が来て一つ大きくなった」とか「入学した」或いは「猛練習の後無事に発表会を終えた」、なら大切な節目だなぁと感じ入るのですが、こどもの日、ねぇとの疑問がありました。人一倍童心だらけなのに一貫して老成していて我ながら持て余しますが、違和感を突き止めないところには掘り起こすような発見がないので、心に引っかかることは温め続けています。

 

ちょうど知人のすすめで気になっていた著者、内山節の作品を手に取る機会があり、読み進めているところなのですが、子どもの育ちをテーマに書かれた良書です。

 

子どもたちの時間 (内山節著作集)

子どもたちの時間 (内山節著作集)

  • 作者:内山 節
  • 発売日: 2015/01/23
  • メディア: 単行本
 

 曰く、永い間営まれてきた農村の循環型社会においては、子どもは村の一員として育ち、そのまま村の一員として大人になり自分の役割を担うことが自然にできていた。田畑を耕すのも木を切って植えて森を守っていくのも、小売店やレストランを受け継いでいくのも、疑問なく安心して人生を進めることができた。大きく経済的成功を治めることもないし没落することもなく刺激のない暮らしではあるが、永く続いてきた人々の暮らしでは子供は安心して育ってきた。それが近代以降の都市部の暮らしは循環型社会ではなくなり、経済が拡大し、人々の仕事も年々新しくなっては廃れ、また新しくなっては廃れしていき、人々は自分が古くないかということを気にして生きるようになってしまった。伝統を受け継ぐのではなくいかに新しいものに飛びつくのか、いかに新しい自分でいるかを追うようになり、のんびり安心することがなくなった。そしてそれは子供の暮らしに多大な影響を与えてしまう。子供が育つのは単独ではなく核家族の中だけでなく社会の中なので、息せき切って古いものを蹴落とす社会では子供も関心事は競争や新しさになってしまい、息切れしてしまう、というのだ。

 

著者の内山節(たかし)さんは、1970年代から東京と群馬の農村を往復して暮らしてきたそうで、今でいうデュアルライフを実践していたとは先見の明なのですね。私がなんとなく都市部で育つ子供に感じていた危うさ、田舎で育つ子供たちの素朴さに感じていた安心感はそういうことだったのかと、また一つ足場が固まった思いです。

 

田舎の子の中でもわが亀成園の子供たちはとりわけ古臭さが強いです。暮らし方も持ち物も遊び方も将来の描き方も。私が子供の頃よりもっと前の時代を生きていると錯覚するほど古臭いです。流行を知らずゲームを持たず、野良仕事を手伝い虫を追い、山や川で遊びながら兄弟一緒に育っていく姿は確かに郷愁を誘うようで、おかげで地域の方に親しみを持ってもらえるのです。そしてその古臭さに対して保護者である私が申し訳ないと思わなければ、実に大きな安心感のもとで育っていることに気付くのです。

 

こどもの日はこどものことを思う日。私が見た自分の子供たちは、取り残されたような農村社会の中にあって、子供らしくたくましく日々を受け入れて成長しています。

 

長女の将来の夢はこの地域で教師になることです。幼少期はおまわりさん、低学年の頃は獣医さんを目指していた彼女ですが、この数年は教師で落ち着いています。なにせ子供たちの通う香肌小学校は先生に恵まれています。異動はありますが、どの先生方も超少人数の児童に寄り添い、責任をもっての指導をしてくださいます。学校の伝統と先生方の人徳、子供たちの素直さと責任感、香肌小学校のある環境(校舎や囲まれた自然)、そして地域の人々の協力が相まって、長女の学校生活は豊かです。今は休校が続いており六年生の時間がなんとなく空しく失われていくのが惜しいですが、先生方は時々様子を見に来てくれるし、休校があけたらやらなくちゃいけないことで彼女は希望に満ちています。

 

飯高町は昔から教師の多い地域だそうです。現に学校に惜しみなく助力してくれる大人の多くが元教員や元校長といった方々で、務め終えた後も尚地域の重要人物として暮らしている姿を見る機会が多いのは、子どもの心に安心感を育ててくれるのでしょう。現実に娘が将来教職に立ったとして、飯高町におれる確率は高くはなくて理想通りにいくわけではないのでしょうが、まっすぐ素直に近くの大人に自分を重ねることができる長女はいい育ちをしていると思うのです。

 

次女は画家、F1レーサーとビッグな夢を描いてきましたが、ここ数年は保育士に固まっています。小さい子のお世話をするのが好きという、私には信じられない嗜好・特技を持つ彼女もまた、この地域では保育士という職に安心感を抱けるのでしょう。子供が育ってからも成長を気にかけ喜び、どんなに大きくなっても地域の子を可愛く思ってくれる保育士という立場は、なるほど素敵な生き方だなと今では私も思います。どんな人も子供であり赤ちゃんであった。その世話をしてきた保育士さんたちの経験は地域の安らぎにつながります。娘がその立場を担うなら、私もずっと地域の子供を遠巻きに見守っていけそうで嬉しいですね。

 

息子の夢はもっぱら棋士です。この地にはおれない職なので応援してあげるにはやや踏ん張りが要りますし、あまりに狭き門に入る可能性は低いですが、「将棋が好き」というシンプルな動議が持つ未来をまっすぐ描けるのは、彼も安心して育っている証かなと思うのです。

 

末娘はまだ4歳で、ただ毎日を一所懸命生きている状態です。明日も来月も来年も一緒くたの時間間隔で描く未来はただただ虹色の光に包まれたものです。大きくなりたい、大きくなったらもっと卵が食べられる。自分でお料理できる。そんなことを夢見る小さな娘、願わくば卵好き、生き物好きをそのままに養鶏家を引き継いでほしいなと母が夢見ています。

 

こどもの日が来るたびにこどもたちをじっくり振り返り、巡る時間を想う。未来は誰にも未知だけれど、子供たちが一所懸命考えて描く道であってほしい。古臭いけれどつながっていると思うだけで、暮らしに安心感がある。やっと気付いたこの感覚を自分の心につなぎ留めておけるだろうか。いつだって安心して羽ばたいて欲しい。鳥の声に囲まれているので思考はいつも親鳥よりになります。