「悩みがないのが私の悩み」と時々カッコつけるほど能天気な私ですが
たまぁに悩みの対象になってしまうのが、仕事の企画(こっちは結果は別にすればほとんど楽しい苦しみですね)以外にはやはり子供の存在です。
親としての自分、どうなのだろう。もう10数年親の務めを担わせてもらっておりますが、成長したり相手が違えば次々に新しいステージが用意されてしまいます。完璧でなくても正しくなくてもいいけど、それなりにいい感じであってほしいとは誰もが望むところです。正しい形なんて決まってないから、厄介な役割ですよね、ほんと。
やり直しも効かずにいきなりずっと本番という大舞台続きなわけですが、子供たちの育つ力を信じて、共にもがくしかありません。頑張れ名女優!と自分を励ましながら。
上の娘二人が小さな頃は、本当に余裕がなくて結構厳しい態度をとっていました。思い出すと申し訳ないです。理不尽だったろうなぁと胸が痛みます。虚勢を張ってはいたけれど、海外でワンオペ茶飯事なんて状況、気付いていなかったけれど実は大変だったのですね。もちろん旦那さまは最大支えてくれたものの、やっぱり孤独半端なく、不安が多い海外暮らしで子供たちがいつもそばにいてくれたことは本当に有難かったです。とはいうものの心に余裕があったわけではないので、ゆったりと構えていることはできませんでした。勿論楽しいことも沢山あったし海外暮らしの経験を詰めたことは本当にラッキーだったので後悔は微塵もないけれど、もう少し娘たちに優しくできていればとは今でも思っています。後悔ではなく反省ですね。なれどそれで現在の彼女たちが厳しくされたトラウマ抱えて卑屈な子になっているかと言えば、ちっともです。苦労をかけてしまった分、身についている力も多く、日々の労を厭わない、どこまでも頼もしい子たちになっています。そして姉妹の結びつきも強いです。さらにいつまでも母に優しい子たちです。一体どうやって育てたのかなぁとうっとりするほどの娘たちですが、反省しかない私の子育て歴史。案外これでバランスがとれているのでしょうか。
翻って3人目はとことん甘やかしてきました。上の二人をとことん甘やかせなかった反省を活かして、とにかく可愛がって認めて無理はさせず、愛される子として接してきた結果、、、
見事なあかんたれになっています!
甘ちゃんもいいとこです!
努力はせずに結果だけ欲しがる典型です!
それでも可愛がり続けているのだから、自分への呪縛はすごいですね。言動のほとんどに可愛らしいフィルターが自動補正されてしまうので、まさに盲目の愛を突き進んでいます。3人目が小学校に上がる頃ぐらいから私の興味関心が子育てから仕事や地域のことに意向したのもあり、息子の甘ちゃんに気付いていながらほぼ反省なく後悔もなく、まあ幸せだからいいかぁとそのままに。
当初の予定では
「甘やかされて育った子は、思いやりのある優しい子になる」だったのです。
だいぶ前に出会ったアメリカインディアンの教えにある有名な詩にもあったのです。愛を受けて育った子は愛を広める子になる、とかなんとか。でもこれうろ覚えだったなぁと疑問が湧いたので、久しぶりに検索してみたところ
批判ばかり受けて育った子は非難ばかりします
敵意に満ちたなかで育った子は誰とでも戦います
ひやかしを受けて育った子ははにかみ屋になります
ねたみを受けて育った子は
いつも悪いことをしているような気持ちになります
心が寛大な人のなかで育った子はがまん強くなります
子どもたちはこうして生き方を学びます
励ましを受けて育った子は自信を持ちます
ほめられるなかで育った子はいつも感謝することを知ります
公明正大ななかで育った子は正義心を持ちます
思いやりのあるなかで育った子は信仰心を持ちます
人に認めてもらえるなかで育った子は自分を大事にします
仲間の愛のなかで育った子は世界に愛をみつけます
(「CHILDRENLEARN WHAT THEY LIVE」/ドロシー・ロー・ノルト)
そう、こんな詩でした。ものすごく深いです。覚えたいけどなんだかつながりが少し複雑で覚えにくそうなところも心当たりがあります。
だから改めて読み返してみて気付きました。甘やかされて育った子の記述なんてなかった!
あえていうならほめられる?思いやりの中?それとも公明正大?むしろ違った?
甘やかされて育ったらどうなるのー!?
大混乱に陥ってしまいました。影響を受けたのは別の教えだったのかな。インディアンとは別だったかな。でも自信もって感謝を忘れず自分も人も大事にして愛に包まれた子でいてほしいと思うので、参考にした詩に間違いはないはずです。わかっていると思いこまずに見直しをすることが大切ですね。もう少し早ければよかったと後悔しても仕方ないです。散々甘やかした事実を認めて次に進みましょう。
人の脳は○○してはいけないという命令には従えないので、甘やかさないことを意識することはこれからより甘やかすことにしかなりません。甘やかしてはダメなんて命令を聞かないことを私はよく知っています。聞くもんか。やめるもんか。
というわけで、できることはシンプルです。
私が、寛大で公明正大で思いやりのある親になって、周りの人と愛のあるいい関係を築き続ける澄んだ心で、息子を信頼して可愛がることです。わぁ、大変、壮大な見直しです。思い返せば私もなんやかやと拗ねることの多いこれまででした。八つ当たりすることも茶飯事でした。自分に自信がなくて怠け者であかんたれでやたらと結果を欲しがっていました。もちろん手に入っていなかったのですが。ほんと甘ちゃんでした。あらあらよく似てますね。
最近はだいぶ人生改善を試みてきたので、これからは息子に真似されても恥ずかしくない親でいられるでしょうか。つくづく親は全てを真似されてしまう可能性が非常に高いという点でも厳しい役割です。そんなことまで考えて親になる人もほとんどいないのに。それでも冷静に考えれば、世界で一番大好きな自分の子供たちが、あらゆる面で自分を信じてお手本にしてくれるのだから、光栄な役割ですね。10数年経ってやっと、本当に大きな役割を担っているのだと思えるようになってきました。子育てをしていたからこそ出会った沢山の本の存在にも感謝しています。
必死で子育て中はそれでも時間があったし人と話す時間の代わりに読書タイムが必要だったので、軽く書かれた育児書は読み飛ばし気味でした。ふうん、はいはいという感じで流してもっと深い物語に没頭していましたが、今になって思い出す本がありました。なんだかとても優しい言葉に溢れていたのでまた探して読み返してみたいです。
子供たちが随分大きくなってきたので、絵本だの育児書だのそろそろどこに移動させようかと考えています。そばに置いておきたいけれど次のステージへ進む時なのかもしれません。いろいろ思い出してしまうのでちょっとやそっとでは整理整頓進みそうにないですが、満月から下弦の月に替わる時は断捨離には最適な月のリズムだそうです。うーん、今月では間に合わないかな、いつのタイミングなのかな。でもそろそろ近付いていそうです。2022年を大きく飛躍して過ごすためにも、育ってきた子供たちに感謝して、一緒に育ててきた本たちにも感謝して、ぼちぼち手放していくときかもしれませんね。