はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと」
10にまつわるお題で一つ、残していたのがありました。避けていたというべきか。
10年前からその先へという誰にとっても重要テーマで、避けて通るにはあまりにも惜しいので向き合わなくてはいけませんが、10年というのが私には苦しいのです。
なにせ、愛息子を溺愛してきて、もうすぐ10年になるのです。
長女がもう13歳で、次女が11歳なので、育児はもっと前から始まっていたのですが、最初の3年は必死でぐちゃぐちゃでお世辞にもよくやっていたとは言えません。ゼロから積み上げて、ほとんど一人でとにかくもがいて、娘たちには無茶を求めていたし、ノイローゼも経験してきたのでどの体験も貴重な学びにつながったことは間違いありませんが、とにかくなんだかバタバタしていました。自分で選んで仕事もせずに育児に集中していたのに、人生にちっとも満足できていなかったのがその時期です。
それが10年前に息子と共に居るようになって以来、スッと憑き物が落ちたかのように、もがき苦しむことが少なくなりました。長い人生の中、今は目の前の可愛いこの子がいるだけでいいやと、腑に落ちたのです。子供に何かを求めることもあまりなくなり、ただそばにいて、子供が機嫌よくしていてくれたら幸せになったのです。一緒に旅をして、一緒に物語を楽しんで、一緒に移住して自給暮らしに挑戦してきました。私よりよほど飲み込みよく、体験を手足で学んでいる子供たちの姿に、うっとり満足してきました。
ただし私の溺愛はやはり息子に偏っているのが情けない現実です。どの子も本当に尊敬していて唸ることばかりですが、どうにも偏ります。娘たちには強い女性として立派に育ってほしい気持ちが強く、そのためのサポートは惜しみません。芯が強く、社会で温かい人々に恵まれてほしいと望んでいます。それに対して息子はどう育ってもよくて、何もサポートできていません。どっちもどっちですね。無条件に認められ愛されるのは小さな子供には必要なことですが、大きくなってそれだけだと、巣立っていけませんから。10年充分甘やかしたなら、そろそろ手放すのもまた親の役割です。
あー、絶対嫌だわぁ、が本音で、いつまでもいつまでも甘やかしていたいです。何ができなくても誰にどんな迷惑をかけても私には最高に可愛い息子というポジションでいさせたいです。手放したくないです。
一方で、こんなにも可愛がることを許してくれた子を、そろそろ立派に巣立たせなければという思いは募るばかりです。いつまでも私が所有していてはいけない。個としての人生を応援してあげなければと。自分への言い聞かせとして多分これは間違っているのですが、いつまでもいつまでも猫かわいがりをしようと思わなくなっただけでも進歩なのですよ。でも手放すことを考えると引き裂かれそうになります。
どうしたものか、これからの10年。
幸い、私もここ数年で育児に専念していられる環境ではなくなったので、執着はとんでもなく薄くなりました。つきっきりで愛情を注ぐことから、つかず離れずサポートするという母親のシフトチェンジは予想以上にうまくいきそうです。これからもっと自分も社会に対して果たす役割が増えてくるでしょう。置き去りにしていたキャリア形成にも乗り出していっていいのです。飽くなき挑戦の今後10年はとても楽しみです。
でもやっぱり溺愛から抜け出せるかの自信はなく。
一時の恋は4年で冷めると言いますが、10年ちっとも変わらない。愛は変わらず関わり方を変えたらいいだけだとわかっていても、言うことを聞かない自分がいます。出会って10年まではあと数か月。母さん、頑張って自分を育てます。
子供が大きくなってきたタイミングで、猫を飼う友達が増えてきました。みんなやっぱりちょっと寂しいのかと安心するような、それでも猫より可愛い子供がいいなと切なくなるような。まだ下の娘もいますし(ずいぶん大きくなったしっかり者ですが)、上の子たちの子育てもちっとも終わってなくて、思春期が続々とくるので猫の余裕はありませんが、ぽっかり空いた心を埋めるというのは人生の大事なテーマでもありますね。満たされる幸せを知ったからこその、喪失感。まっすぐに抱えられるものなのか、別なことに夢中になって紛らわすのがいいのか。答えの出ない問いかけに挑戦です。