勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

もうすぐ学校が再開です

今週のお題「会いたい人」

 

三重県内では外出自粛が少し緩和されたので友達に会いに鳥羽まで出かけてきました。本当に久しぶりに松阪市を出て、ほぼ誰もいない高速を飛ばして、いつもSNSで見るばかりのあまり知らない町へ。山から海へ、一時間少しであっという間に着けるのですが、わざわざ出かけないと行けない距離です。会えたのはほんの少しですが、直に元気で頑張っている姿を見るのは思い出しても嬉しいものです。もともと一人時間は好きで子供たちがずっといる家はにぎやかだし、おうち時間は退屈知らず。加えてささやかなつながりとはいえWeb上でつながることも多いです。それに芽吹きの季節はたっぷり自然に囲まれていて、この時期特に寂しい感情に締め付けられはしてこなかったのです。それでも近頃昔の友達がとっかえひっかえ夢に出て来て、会いたがっている自分に気付きます。

 

私は大阪からの移住者で、子供たちに鶏たち、犬もいるので、なかなか気軽に旅に出ることもできず、昔の友達とは滅多に会えません。たまに亀成園までありがたくも訪ねてくれたり、極たまには結婚式に駆け付けることもありますが、もうアラフォーではそれも滅多にない機会です。ほとんどの友達は都会に居て、都会には私を惹きつけるものがあまりないので、疎遠を自ら作り出してしまっておりますね。もう少し社会的に成功すれば(つまり稼ぐ女になれたら)もう少し公私に渡って移動することもあるのでしょうが、兎にも角にもわがままに自給生活に奮闘してきたここ数年、そして兎にも角にも必死で子育てをしてきたその前の数年は、同級生との距離は隔たるばかり。そうやって孤独を引き受けてでも駆け抜けて築きたいのが自分の人生なので、うまくできていると思います。過去も今も求めるものを描いて必死でステップを踏むしかできないのですから。

 

でも、それでもまた会えるのだろうか。会いたい確かな気持ちは何なのだろう。まだ前を向いて頑張らなきゃいけないのに。世界がもっと狭ければいいのにと思う。好きな人みんなが日常の行動範囲で暮らしていたらいいのにと。大好きな友達がみんな飯高町にいて、亀成園の卵を食べて、一緒にくだらない話をしながらお茶摘みして、SNSなしで暮らせたらどんなにいいのにと思う。あくまで自分中心なことにあきれるけど、生きていきたい好きな場所はゆずれないからこうなってしまいます。ああ、なんて会いたい人が多いことか。

 

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これは亀成園の裏山から探検して学校まで無事着いたときの写真です。いつもの通学路から見る校舎とはまた違った角度で新鮮でした。

香肌小学校のHPへようこそ - 松阪市立香肌小学校

 

三重県の学校でも児童や生徒が来なくなってもう二ヶ月半になります。当たり前のように通っていた校舎に通えなくなる経験は、子供たちにどれほどの影響を与えてきたのでしょうか。うちはまだ小学生ばかりで兄弟が多く、家仕事•畑仕事など毎日こき使われていたので友達が恋しくて泣き出すなんてこともなかったですが、もう少し大きくて中高生だったら、きっともっとつまらなかったでしょう。

 

児童精神科医で育児書の大家、佐々木正美先生が繰り返し説かれていたことで「児童期はたくさんの仲間と育つ。思春期は特定の仲間と育つ」が印象的です。幼児期は家族の絆だけで十分健康に育っていけても、十代からはどうしても仲間が必要なのです。学習はオンラインで可能でも、友達とのなんてことのない時間を過ごすのに、校舎はなんてありがたい場所だったのか。

私は大阪の北摂で生まれ育ち、公立の小•中学校に通い、隣の市の高校に進学し、予備校での一年を経てから京都の大学に進み、四年を過ごしました。6年、3年、3年、1年、4年と17年も学び舎があり、たまたまなのか定められていたのか、同級生がいて一緒に時を過ごせたことに心から感謝しています。別に十代がバラ色の時代であったわけはなく、世界が灰色に見えることもありました。それなりに乗り越えてきた今の方が余程視界は明るく前途に輝きも見えます。
 それでも同級生と毎日当たり前に会えていたことに関しては、過去の自分がうらやましくて仕方ないです。
 
 漫画の貸し借り、鬼ごっこの独自ルール、牛乳早飲み競争、部活のおやつタイム、校舎の秘密の場所、もめたりふてくされたり、バカみたいに笑ったり。そんなためになりそうにないことばかりを思い出してキュンとしてしまいます。これぞ学校の意義。子供時代があってよかった。
 
 もう絶対に校舎には戻れなくて部室もなくなってどうしても会えない人もいて、もっと人生を歩みきった先で走馬燈を見ない限り思い出せないことの方が多い。それでもやっぱり会いたい人って、きっと大事な人。心を近づけた人。近くに居たことがある人。あんまり振り返ると未来が曇ってきちゃうから、ちょっとだけにしているけれど、会いたい人がいるのは幸せです。堂々と会える人になるまではまだ時間がかかります。その日を楽しみに。2020年以降、どう生きていくか。私たちは多分、良い選択ができるはずです。