勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

意見書は愛のエール

ああ、風力発電計画を考えている間に8月が終わってしまう。

お客さんもそりゃ少なくなっていることだし、時間を使って取り組めることがあるのは幸いなり、なのかな。

 

飯高町に起こった風力発電所計画について、仲間たちとの動きをちょっとまとめます。

 まだ終わっていないので時期尚早感はありますが、なんだか見事な動きの中にいた気がするので、どういうことだったかわかるうちに。

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【事のおこり】

(仮称)三重松阪蓮ウィンドファームの合同会社が立ち上げられたのは6月半ば

計画自体はもっと前からあって、根回しはひっそり行われておりましたが、本格的に事業者が動いたのは6月からのようです。書類とか合同会社立ち上げとかね。

それはあまり明るみに出されず、飯高町の山奥4か所に渡って、60基の大型風力発電機が建設される工事の計画があることが新聞記事に載ったのは7月30日でした。ほとんどの人にとっては寝耳に水のような話でした。

7月後半は松阪市議会議員選があり、8月はオリンピックがあり(私にはほとんど影響なかったですが)さらに秋の国体@三重(今では幻)に向けてスポーツニュースがにぎわう流れの中、本当に小さな記事で、極一部の市民の目に留まることになりました。

そしてこの計画に関する環境配慮書に対してのパブリックコメントとなる意見書提出は8月末。計画について、事業所のホームページに詳細が公開されるのも8月末まで。そしてその配慮書は印刷不可で振興局などの隅っこにおいてあり縦覧可能となっていました。

 つまり、いろいろ紛れてひっそりと進める予定だったような印象があります。少なくとも「こんな計画がありますよー。市民の皆さん、喜んでください」といったメッセージはなく。

 

【発覚、そして結束】

小さな新聞記事がSNSで拡散し、一部の住民の知るところとなりました。ん?これやばい?

そして確かに振興局には分厚くて読めそうもないような環境配慮書と意見書、投函箱が置いてありました。

住民の中には地権者もいて、いい話な雰囲気もあって、なんだかこの話は気軽に話題に出す雰囲気ではないところから、頭脳戦が始まったような気がします。

 

飯高町松阪市の半分を占めるようなとても広い地域です。住民は5000人ほど(松阪市は15万人)、しかも超高齢化社会です。普段会う人の平均年齢は80歳越えといって言い過ぎではないくらいの、静かなはずの地域です。広い地域にさらに4地区の住民協議会があり、人の質も文化も異なります。松阪市に合併される前も飯高町として長い歴史がありましたが、谷あいの集落が点々としているので、一つにまとまることはあまりありません。それはそれで面白い。

 

ところが飯高町には不思議なネットワークがありました。

・時間に融通の効く賢人たちがいました

・地域外に知り合いがたくさんいる愛され人たちがいました

・森を日頃から愛する林業家たちがつながっていました

・各地区毎に顔の広いおねえさんたちがいました

・公にはできないけれど個人的に応援してくれる人たちも

そしてそれらの人々が、なんだかわからないけど、仲が良かったのです。

そして住民たちは日頃から、地区を超えて、年代を超えてつながっていたのです。これかなり大きいです。

 

 最初に動いたのは誰だったのかもよくわからないしどうやって広がっていったのかもわかりません。町内で、町外で、県内で、県外でも。

 どんな流れでどのように動いていこうとか何の話し合いもしていません。

 

 けれど

8月上旬には嗅覚のよい人々にはあらかた話が伝わることになり

情報共有が活発になり、

でも地元で反対派・賛成派に分かれることは絶対に避けようという結束はし、

SNS上での発信は極力控えました。でも既にわりと広まっていたので、柔らかい印象でみなの声が必要なことは伝えて。そのとき隣町がいち早く活発に動いていたことも大きいです。

 

地元新聞に出たのが8月半ば。

回覧版も回されました。「知ってる?どうなってるの?」というテイストで。

環境評価委員会というのが市役所で開かれたのが8月16日(傍聴に駆け付けた人も)

やんわりとした勉強会が開かれたのが17,18日

 

月末に風力発電に詳しい伊賀市の先生をお呼びして勉強会を行う話もあったのですが、

感染症拡大のために実施できず。

隣町で1時間、飯高町の別の地区で1時間、理事会で1時間などちょっとずつ住民の声も上がってきて、計画の大きさ、脆さ、影響の甚大なことなどが浸透していきました。

 

【意見書集め】

とにかく8月末までにならだれでも環境に配慮した意見書が出せ、それは事業者が公示して回答をするということなので、意見書集めが始まりました。

わりと固い書式で、環境配慮書を読んだ上で、とか書かれていてものすごい高いハードルに見えます。しかし書式があっていれば内容は自由。住民でなくても出せます。手書きじゃなくても有効です。年齢制限もありません。

 そのあたりがわかってきたので、シェア拡散が始まりました。いつだったかな。

 

呼び掛けてみると反応があるわあるわ。

地元住民以外にもファンが多いのが香肌峡です。

・友達が暮らしていて訪れたことがある

・バイクでよく通る

・今は県外だけど故郷

・祖父母の故郷で子供の頃から縁がある

・台高の山々が好き

・渓流釣りでよく行く

・いつか移住したい場所

 

そして人々の声が次々届けられるようになりました。

でもまだ「どうやって書いたらいいかわからない。どこに出せばいいの」などがよく聞かれたので、意見書書き方サイトを特設しました。8月20日のことです。

一度使ってみたかったペライチをこんなところで試す羽目になるとは。

peraichi.com

投函箱に行く暇がない、誰に渡していいかわからない、ちょっと見てほしい、など気になっていたけれど直接尋ねる人がいなかった人々がここに送ってくれるようになりました。どう書いたらいいのかの参考にしてくれる人もいて、開設一週間、平均PVは400です。何年ブログ書いててもPV数が上がらないのに目的に特化したサイトは強いです。

 

【意見書は愛】

そして私の所にも、仲間たちのところにも、もちろん事業者さんに直接も、続々と意見書が届けられています。把握できているだけで500通以上。最終日までにどれだけ集まるのか、ドキドキするけど楽しみです。

 

意見書には「反対します」という表明も沢山なのですが、飯高地域との思い出がつづられているものも多く、野生動物との遭遇談や人々とのつながりエピソードなどもあり、かなり頻繁に心打たれます。

 

綺麗な川、癒される場所、パワースポット、心の故郷

 

住民増加に悩んでいる飯高町なのに、実はめちゃくちゃ多くの人の想いが通っていたとは。なんとなく知っていたけど明るみになったのは、もしかしたら青天霹靂のこの計画のおかげです。つながる人々もずいぶん増えました。

 

【地域力がためされている】

8月半ばにある住民が言った、地域全体に関わるこの問題への心構えです。

 

下手をすれば見過ごすような、もっと下手をすれば仲間割れしてしまうような

全く無関係の人々から突き付けられた計画にどう対応するか。

 

慎重でなければいけない

且ついち早く動いておかなければならない

穏便でいなければならない

且つ鉄壁の壁を作らねばならない

 

そんなわけで今のところ、したたかに狡猾に情報を集めて回しながら

笑顔絶やさず冗談絶やさず、和を乱すことのないよう進んでいます。

たぶん、分断していない。

それがなによりの願いです。

 

【あるおばあちゃんの言葉】

時々会うと仲良くお話させていただく70代と思われる品のよい方に会ったところ

「私もあの環境配慮書、パソコンにらめっこしながら昨夜2時間くらいかけて読んで、意見書を書きましたよ」と。

なんかすごいな。インスタグラムで人脈を広げているだけのことはあります。

 

意見書が続々集まっていることを伝えると

「まあ、それはそれは。事業者さんも、こんなじじばばばっかりの場所だと思っていたのにびっくりされているでしょうね」と。

その通りです。田舎だからってなにもできず言いなりってことはもうありません。

 

【もはや感謝】

計画の話はまだ第一段階に過ぎません。今後事業者は、市から知事から、委員会や住民協議会や市議会などの報告を受けてからの書類が送られ、それに回答し、報告書を作成し、住民説明会も開き、それをくぐり抜けてもなんとしても事業を進めようとするかもしれません。資金繰りが怪しくなってとん挫するかもしれません。決定打があるか、世論が大きくなってかで撤回せざるをえなくなるかもしれません。それでも進めてくるのかもしれません。なんにせよ、とんでもない仕事量をこなして(いろいろ外注されるのですが)、法の網をくぐって金の臭いがする限り、事業をあきらめないのでしょう。

 

計画が進んだら私たちはもうここにはいられません。

何年もダンプトラックが頻繁に行き来して山を崩すところで子供を育てるなんて私にはできないし、安らぎを求めてくるお客さんにも顔向けできません。獣害が増えたら農園を続けることもできないし、クマが降りてきて鶏も危険です。ヒトもか。

とはいえこの計画のおかげで、分厚い環境配慮書のおかげで、ここがいかに生物多様性に恵まれたところなのか、改めて見直すことができました。この自然を求めている人々が思っていた以上に沢山いて、想いを送ってくれることを知りました。

 

仲間たちの力を見せつけられました。それぞれの特技や人脈、人生経験をフルに活かして、ウェーブが起きていました。自分がそのどこにいるのかわかりませんが、結構いい位置にはいることができています。そう、誰がボスでもないのです。それぞれの時間と知恵をたくさん使って、疲れることも多いですが、いいことも多いなというのが総意で、輪の広がりを楽しんでいます。

 

地元の中学生や、高校生、ここで育った若者たちもこれを機に自分の頭で考えて意見書を書いてくれています。

その動きを知って、よくわからないなと傍観しようとしていた上の世代も当たり前のこととして書いています。

話を聞きつけた他地域の同じ問題で苦しんだ経験のある人たちからも意見書は届いています。

 

限りなく面倒くさいこともいろいろあったけど、そろそろ第一ラウンド終了という今、

もはや感謝が正直な気持ちです。

もちろんいいようにはさせないし、やられるわけにもいきません。

けれど今、激昂したり後悔したりはしていません。

 

声を届けてくれた皆さま

本当に本当にありがとうございます。

29日夜まではまだ受け付けています。

声を挙げることで見えるものが大きいことが、伝われば嬉しいです。

 

もうこんなことで苦しむ人々がいなくなればいい。反対活動したり敵対したりで疲弊することなく過ごしていきたい。そりゃ全世界の人々の利害が一致するなんてことはなくて、それぞれの自由を求めたらいいのですが、権力とかきな臭い政策の影で守りたいものを踏み躙られることがなくあってほしい。私は長いものに巻かれることを好まない異端児なので、とりあえず声を挙げます。そして全体を見渡します。

さて今後どうなりますやら。

適当に見守っていただけますように。