勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

ゴリラの絵本おすすめ

9/24は世界ゴリラの日!だとか。

今日は○○の日を追いかけ過ぎるとしんどいだけなのですが、突然目についた日にはなにか縁があるはずです。

 

京都学派の末端(希望)の私にとっても、ゴリラはちょっと特別です。大切な同時代を生きてくれていて、霊長類としても学ぶことが多いです。そして絶滅危惧種という言葉に敏感なこの頃、ゴリラが響きました。

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ゴリラに対して、怖い生き物というイメージを持ったことはないです。キングコングの影響は皆無で、ドンキーコングもかわいいキャラとしか認識しておらず、むしろジャングルの王者たーちゃん、とかがゴリラを身近に感じた最初だった気がするので、親しみが強いです。それとやはり、スラムダンクの中で好きなキャラクターは赤木(本音を漏らせば河田兄)ということも、ゴリラに対しての好感度が高い由縁でしょう。

 

特別に好きな動物といえば、オオカミ、オルカ、パンダで確定しているのですが、大切な動物となれば、ホッキョクグマとゴリラ、カモノハシです。獣部門限定なので、鳥類や両生類は入っていません。どれも本当に堂々として憧れるけれど環境影響を受けやすいもろ刃の王者たちですね。カモノハシを除いて。

 

動物が好きということで、人の動向に敏感になれないという欠点はあります。動物に心を奪われていて人に左程気を配れていないという落とし穴もあります。人一人が気を配れる能力には限界があるので、好意を持つ対象を広げると集中できなくなるのは致し方ないことで、何を言っているんだかつまり、動物に視野を広げると人生相当楽しいよということです。

 

そして相当楽しい人生の土台は子供の頃に作られます。いかにして視野を広げるか。それはお気に入りの絵本との出会いが大きいかもしれません。鈍臭くない人ならお気に入りの場所との出会いとかボールとの出会いでももちろん人との出会いでもいいのですが、視野を広げるという点では紙媒体は強いです。

 

今回はゴリラと親しむのにおすすめ本を並べてみます。

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ゴリラの本家である山極先生と、ゴリラ専門絵本作家である阿部知暁さんの夢の共演本なのです。ずっと待ってた、夢のコンビ。

 

世の中にゴリラの本はなかなか多いですが、阿部さんの描くゴリラが一番好きです。

作者の小風さちさんは、わにわに絵本で有名な方ですが、ごりらも何冊か阿部さんと組んで出されていて、子供と一緒に楽しむのにものすごく簡単でものすごく深くて、ものすごく有難い作品ですよ。

阿部さんは、とにかくゴリラが描きたい人です。他の対象はどうでもいいというプロゴリラ作家さん。それだけ懸けるものがあるということは、生き方としては不器用だけれど豊かな人生に違いないと感じられて、眩いですね。

 

山極先生のゴリラとの絆を感じるのにはこちら

人生で大事なことを砂場から学ぶ人、山から学ぶ人、猫から学ぶ人、お笑い芸人から学ぶ人とけっこうそれぞれですが、山極先生のゴリラ説は圧倒的に説得力があります。

数々の漫画からばかり学んでいるちゃらんぽらんな身としては、対象との積極的な関りがとても羨ましいです。素敵な本の描く人は大体みな、積極的な芯の強い人ですね。

 

私が小さな頃に見ていたゴリラの本と言えばこれでした。

ふとこれが近くにあったから、いいイメージができていたので、子供の周りにある本はほっこりと楽しいものであるといいなぁと思います。

 

世の中これだけ情報が溢れているのに、それだからこそどの情報が自分にとって大事なのか、種となるのか見分けにくくて育てにくい一面もあります。懐古趣味はないし、いい時代だなと思える面も多いのですが、情報の多さは個人個人にとって危うくて厄介だとは思います。小・中学生の子供たちを見ていてもかつてより学ぶことは多くなっています。歴史が進み、テクノロジーが進んで知識量が増えているのに、知識だけではない洞察力や論理力なんかが求められていて、なんだか差が広がっています。

 

プログラミング教育はもう当たり前になっていくのでしょう。オンライン授業も個別最適化学習も。だからこそ、うちの中はほっこりとした絵本で満たしていてあげたい。子供は順応できるという自信があると、教育を追うのではなく、迎えるという心持でいられます。

 

ゴリラの日があってよかったなと思うのは、親しみを尊敬を当たり前に抱ける存在だからです。親しむのは安心感と共に。尊敬するのはもっと学んでから。なんだか家庭教育と学校教育の話になってしまいました。