勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

ギガスクールの話を聞いてきた

3連休初日は丸一日クラギ文化ホールにおりました。

音楽や落語など大きな文化イベントといえばクラギというくらい、松阪ではよく使われるホールです。成人式もここだったかな。

今回は学校系のイベントデーで、午前も午後も講演があり、PTAの仕事としてそこに参加しておくという役割でした。ためになる話を聞くのは私には好ましいことなのでほいほいと参加し、会場オープンの誘導係は吹きすさぶ風の中、多少の空しさや切なさはありましたが、いかにも教育関係者風だなぁという人々をこちらですとご案内するのは落ち着く役割でもありました。

 

午前の部はトーク21というイベントでした。

戦後の日本で「教え子を再び戦場に送らない」をスローガンにした母たちと女性教職員たちの語る会が前身となった講演&交流会は3年前まではテーマを5つほど設けて200人以上が集まるかなり大きな会として行われていました。

今年度は3年ぶりの開催とはなりましたが、規模縮小で話し合いはせず講演だけとなり、参加者も松阪市内の小中学校で教職員1名、保護者代表1名に絞っての開催でした。

各学校からぽつんと参加して、講演聞いて帰るだけでその後どう子供への影響があるのかはわかりませんが、松阪市の学校関係者100人くらいが同じ時に同じ話を聞いて感じたことが、子どもたちの心地よさにつながっていくといいなぁと思います。

 

講師は市内の中学校の校長先生で、テーマは「何気ない会話が主体的に学ぶ子どもを育てる」でした。いろいろ話はありましたが、その中で不意に飯高の話が出てきたのです。移住者が増えていること、新しく来た子育て世代の人たちはテレワークをしていること。そんな話は地方都市ではまだ遠いことだと思っていたら、すぐそこに来ていて、子どもたちの未来とか仕事とか、予想もできないから今大人が与えられるものは何なのか。どこの誰とでもつながれて、好きなことができる時代。価値観のアップデートができないままの大人が誘導してはもったいない。そんな話でした。

大画面によく知った文字や人が写ると嬉しい

午後はGIGAスクールフェスタというイベントの中の講演とパネルディスカッションを聴きました。

GIGAスクールフェスタチラシ

昨年から始まった、小中学校の児童・生徒たちに一人一台タブレットの狙いや実際に使ってみてのことなど、実験校の話を中心に保護者や教育関係者に共有するメッセージでした。

こちらのページでは取り組みについての様子や教育長のメッセージなどもあり、講演前の空き時間では大画面で学校の様子が繰り返し流されていました。

飯高中学校は知っている子が次々に写って、くすぐったくなりました。

www.city.matsusaka.mie.jp

GIGAスクール構想における学校の取組~飯高中学校~ - YouTube

大切な動画なので再度貼り付け。

 

GIGAスクールのGIGA

Global&Innovation Gateway for All

の略称なのだとか。ギガって電流とかの単位かと思ってましたよ。

全ての子どもたちに、世界への扉、創造への扉をさずけるって意味だとか。

さずけるってレッドブル感あっていいですね。

 

今まで子どもたちは家などでパソコンやタブレットを使うことはありました。でも日本の子はほぼゲームやSNSで、学習に使うことはなかったのだとか。それで思い切って教育の中に取り入れることで、タブレットが勉強道具に代わったことは大きな成果です。

 

もちろんより安易な方向に流れるのは人のサガで、ゲームや動画ツールの時間を減らしてその分学習に絞るのはそう簡単ではありません。でもコミュニケーションとしても欲しい情報を集めるのにも、道具が子どもたちに開かれているのはいい。

 

飯高中の生徒が立派な発表をしてくれました。

地域探究活動の中でもタブレットは当たり前に使っていて、記録にも発表にも、でもそれ以上に生徒同士や地域の人とのコミュニケーションに役立っていると。そしてまた、新型コロナウイルスの濃厚接触者となって学校に行けなかったときに、タブレットで授業に参加できたときの安心感を話してくれました。これにはICT教育を進める大学の先生もびっくりされていました。もうそこまで、と。そうだ、ICT教育はコミュニケーションと安心感を支えるものなのだと。

 

小規模校で素直な生徒たちを熱心な先生方だからできるのかもしれません。けれどそんなモデルがあると発信していくことは、世の中全体にとってもね。眩しいですよね。

現在は違う学校で校長先生をされている方も、ICT教育や地域探究活動を進めるときは、飯高でやっていたことを念頭に置かれているそうです。この地域の希望はこの地域の人だけの希望ではない。そんなことを強く感じた日でした。

課題が山積みの過疎高齢地域だからこそ、最先端に振り切ることができる。静かな熱い思いは、思っている以上に波紋となっています。

 

子どもを取り巻く話を子どもと離れて一人で聞くという歯車の狂う日でしたが、感涙もあり、意気揚々と飯高の山に帰っていきました。