勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

他の生き物と近い生き方をする人である原点は

今週のお題「人生変わった瞬間」

ふときたこのお題についてピンときたのも何かの縁なのでしょう。

鈍くさいのに学生時代にアウトドアの部活を選んだときとか、仕事の保証もないのに田舎暮らしに飛び込んだときとかももちろん私の人生の大きな舵取り分岐点ではあったのですが、もとはと言えば子供の頃のある経験から繋がっているような気がします。大阪の郊外、箕面の住宅街で育っていた小学生の私がよく考えもせずに選んだ一つの選択が今と大きくつながっています。

ふわっと感じているだけのことではありますが

 好むと好まざるとに関わらず、個性的な人であるとよく言われます。名前が変わっているし、血筋も混血だし、経歴とか人生の歩みもそれなりに変わっているのだとは思いますが、多くの人と決定的に違うのは、他の生き物への接し方なのかなと思うことがあります。人に期待も依存もせずわりとそのまんまとらえる感覚は、他の生き物に対しても同じで、私にとっては普通の感覚ですが、あまり一致することはないので、ここが境目なのかもしれないなと思うようになりました。あ、人に対して敬愛したりがっかりしたりは普通にありますけどね。そんなにできた人間でもないことは断っておかなくちゃいけませんです。

 とはいえ私の感覚ではヒトとヒト以外はそんなに違いません。ヒトが頂点だとも思わないし、対立しているとも思いません。ただ、幸運にも同じ世界に居て、影響し合っていて、学び合い守り合っているのだと思っています。無為自然の思想などを持ち出すまでもなく、私は今たまたまこの姿で、ちょうど目の前の畑に寄ってくるサルの群れもたまたまその姿で、稲に群がる雀もまた、奪われたり追い払ったりの攻防もまあお互いできる範囲で関わっていきましょうという感じ。そこには別に大きな対立も支配もなく、たまたま自然の流れで取ったり守ったりしているだけだなぁと淡々としています。コラぁと追い払うし、私の取り分が減る悲しさはあるものの、徹底的に排除しようとか絶対隠そうという気にはならないのが当たり前ではないのですね。人に対しては優しいことを言いながら、他の生き物に対してはそういう排除を真剣に考える人も多いのだと改めて気付いてちょっとびっくりしたのです。

 私の転機は小学生の頃、多分5年生です。初めての愛犬がいた頃で年子の姉もまだ小学生だったと思います。自転車で本屋さんに行った道でたまたま、イタチが車にはねられているのに遭遇しました。

 それまでも車に乗せてもらっての移動で小動物がはねられているところを見たことはあったかもしれませんが、自分のすぐそばで可愛らしい生き物が倒れているのを認識したのは初めてだったと記憶しています。記憶はあまりアテにしてはいないのでめちゃくちゃいい加減だったら申し訳ないですが、はっきり覚えているのはその時のイタチの姿です。午前の遅い時間でしたが、大きな道からそれた人通りも少ない道だったためか、はねられたそのまま残っており、きれいな姿でした。

 元々生き物は好きで、動物図鑑が愛読書だった子で、5年生の春から仔犬を飼い始めて可愛がりまくっていたこともあります。たまたま出くわした道端の小さな生き物をそのままにしておくことはできませんでした。本屋での用事を急ぎで済ませ、自転車のカゴにイタチを乗せて連れ帰ったのです。

 

 母と姉はギョッとして、愛犬も吠えまくって、その時私は、家族の中でも感覚が違うことに気付き、これはどうも理解を得られないということを知りました。

 もちろんそれまでもモノの捉え方の違いとか出来事に対する感想の違いや得意不得意の違いなどは知っていたのですが、はねられていたイタチを連れ帰るという選択が母や姉にはまるで理解されないとは思いもしなかったので、あれ、もしかして違うのかと妙に冷静に気付いたのです。

 

 連れて帰ってそのまま置いておくわけにもいかないので、庭に穴を掘って埋めたのですが、今ほど力が足りなかった小さな私は、力持ちの祖母に手伝ってもらいました。祖母は「ああ、もうイタチなんて」と言いながらも触れるし穴を掘るのも手を貸してくれたのです。わりと感覚が近い人だったのでしょう。母と姉は興奮する愛犬のこともあるのであまり近寄らずに遠巻きだったような気がします。とにかく私はイタチを供養しなきゃとそれで必死だったので家族がどう思っていたのか正確にはわかりませんが、頼ったのは祖母でした。

 

 そんなかんじで穴掘り供養をしましたが、そのことは日記に書いたわけでもなく、その後学校で話すこともなく、自分の中ではただできることを探して、祖母に手伝ってもらいながらもできることをしたというだけの話なのです。いいことでも間違ったことでもなく、命に手を合わせたというだけのことです。

 

 その後、山道を走ったり旅をするようになってからは小動物がはねられている機会に遭遇するときは多くなりました。胸が痛いことなのですが、行動範囲を広げたので仕方ないことなのかもしれません。

 北海道で自転車旅をしているときはキタキツネがはねられていたことがあり、とりあえず道路から土のある所に移そうとすると、先輩に止められたこともあります。エキノコックスがあるから近付くとあかんと。最もな感覚だなと思いながらも土に移すことは譲れず、そんなら俺がやるよとビニール袋はめてキツネを運んでくれた先輩でした。いい人だなぁ、でも私が近くで見て触りたかったなぁと今でも思うのです。先輩、なんかごめん。その後もたぬきや猫、もぐらなども、埋める余裕のある時は埋めたし、余裕のないときは運んでそれ以上ひかれないようにするのは私の中では当たり前なのですが、皆がそういう感覚ではないことも知っています。

 それが何故かはまだわかりません。

 いつかわかるのかな。でもわかったところで違いを知るだけですよね。

 

 これから先の生き方として、生き物を学び、森林を学び、生物多様性を守り伝えていくために、インタープリターとして環境教育に携わっていきたいなとなんとなく描いています。そのための道筋がはっきりしているわけではありませんが、里山で暮らす、どうにも言葉の多い人として、自然と人の未来をつないでいくのは当然の役割になるなと予感があります。インタープリターって何?をわかりやすく紹介してくれている愛知県の学び場サイトはこちら。ブログ拝見して私も道筋イメージします。

インタープリター紹介 | 楽しみながら学べる 環境学習施設 もりの学舎

 

 私が持つ感覚を他の人も持つべきだとはちっとも思いません。それぞれの大事な感覚をこそ育てていけばいいし、それぞれの役割があるのでしょう。とはいえ私が今の人生でインタープリターとして生きたいなとこの歳でスタートラインに立とうとしていることもまた無意味ではなくて、間違いなく小学生の頃からつながっています。ほんと、友達と話をしていてもすぐに生き物の話を出してはあきれられていました。なんでそこで象の話になるねん、キツツキが出てくるねん、フクロオオカミについて意見を求めてくるねんと思いながらも友達でいてくれたみんな、ありがとう。アニマル柄の正確な動物を知りたがったり、キャラクターの四肢の不自然さをぼやいてみたり、優しくて違う感覚を持った人たちのおかげでここまでのんびり生きてこられました。

 これからもうちょっとわがままになって、別段期待はせずに普及・啓蒙活動がしていきたいです。聞いてくれる人がいるかどうかもわからないけど、ニッチなだけにスポットが当たっちゃうかもしれません。どんな仕事があるのかな。ないのかな。フィールドはあり、熱意もある。そのうち見えてくるでしょう。

タオルはやっぱりヒョウ柄が好きです。これって生き物が好きだからというより大阪のおばちゃん魂なのか。