勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

プラマイゼロのほんとの意味

賛美と批判、いいことと悪いこと、ポジティブとネガティブはどれも

総量がゼロということを一年前くらいに聞いて、それがずっと気になっていました。

人生いいことばっかりだったらいいなぁと本気で呑気に願っているし

楽しく生きていれば楽しいことが次々とって自然だし

わざわざ悪いことをセットでゼロになるなんておかしいなぁと疑問でした。

 

でもこの時期って一年を振り返ります。

2022年、ほんとに嬉しいことも華やかなこともキュンとすることもありましたが

びっくりするくらいの嫌なこともあったのです。

そこを振り返ると、プラマイゼロが腑に落ちてくる実感がありました。

+ゲストハウス亀成園がプロモーションなど積み重ねたことがなんとか実を結んで、やっと集客に不安がなくなってきた矢先に

-園主のコロ助感染もありましたし

風力発電をなんとかしたいと力を合わせてやっと請願にこぎつけるという時期に、

-急に車が壊れるなんてこともありました。ああ、もうほんと。

それよりなにより、

+今年度移住促進がプチ開花して、新しく楽しく快い仲間が増えて、小学校が残りそうな満願の波に乗っている感じはある中で、

-珍しく人間関係のトラブルがありました。

 数々のスルースキルを駆使できるほどには大人になっているので、人とぶつかることなんてついぞなかったのに、今年はなんだかびっくりな衝突になったのです。あんまりびっくりして、随分引きずられてしまって、モヤモヤがぬぐえない自分の湿り気がとても嫌でした。パッパと払ってすぐ前に進みたいのに、なんだか足枷がある感覚が長らく貼りついたままで、どうしていいのかちょっとわからなかったです。

 

 でもそれもよくよく眺め渡してみると、バランスがとれているのかなと熟慮しました。

ビジネスの急成長を受入れることは嬉しいけれど、自分の器がまだ準備できていなかったから、途中でストップになったのかもしれません。身体に負担があったのかもしれません。いい悪いではなくてまあトントンな感じに落ち着くためにいろいろな出来事があったのかな。だから今後は自分の器を広げていくことで、ちゃんと進めていきます。

 

 風力発電の請願が通るという目標達成のためには、車の故障仕方なし?

こっちはもっとそんなぁ、と嘆いてもいいのですが、故障しないまま請願も通らないならば、今の現実のほうがよほど恵まれているとは思えます。心から。ありがとう車。

 

 問題の人間関係は、要はバランスだと考えたら俄然納得がいくのです。

 つまり、めちゃくちゃ負荷がかかっている存在の反対には、めちゃくちゃありがたい他の存在があります。1対1ではなく1対10かもしれないし、数人対数百人かもしれません。人生を振り返ってみても、大きなトラブルがあった時の反対側にはありがたい存在がありました。

 一番大きなことは、十数年前の母との葛藤期なのですが、これって自分に子どもが生まれてからなんですよね。私を育んでくれた大切な母がそのまま私と娘を囲む構造ではなく、私は私として娘を育む役割があったことで、今までの娘という役割から脱皮する必要があったのです、多分。子育てを全力でと思っていたからこその親との葛藤は、今思えばバランスだったのだと振り返ることができます。ごめんね、お母さん。脱皮させてくれたことに感謝ですね。そして小さな頃に友達関係がしんどかったときには母にどれだけ助けられたでしょう。やっぱり一番大きな人なんです。

 旦那さんとなる人に出会う前にもかなり鍛えられる関係がありました。いろいろと迷惑をかけましたが、そこで沢山Mっ気たっぷりに傷付いておいたからこそ、その後大きな安らぎを得たことは間違いありません。

 他にも脱皮時期にはなんだか決まってマイナス面に向き合う必要があったことを思い出します。辛い想いってトレーニングなのかもしれません。その反面の成長とか温かさを受け取るための、自分が乗り越えるべき課題なのだと気付いてびっくりです。

 となると、今年のトラブルの反対がどれだけ大きな優しさや心地良さで満ちているかに改めて気付きます。うん、確かに、感謝してもしきれません。

 トラブルなしでも順調な人間関係をじわりじわりと築けるときももちろんあるのです。でもそうしていると突然大きな喪失があるということも、この歳なのでもう経験しています。自分の身の回りで起こる出来事がどうつながっているかはわかりませんが、どうも凸凹なんですよね。実家で飼っていた愛犬たちが3匹いたのですが、子どもたち3人が生まれるちょっと前に3匹がそれぞれ亡くなっていたことも思い出しました。4人目が生まれる前、もう犬はいないのにドキドキしたくらいです。愛犬たちがいなくなったら生きていけないと思っていた私が今ものうのうと生きているのは、母になっていかねばならなかったからに他なりません。となると今の愛犬は孫が生まれるまで一緒に居てくれるのかな。そんな都合よくはいかないけれど、大きく見ると確かにバランスなのです。不思議だけれどそんな気付きがありました。

 

 トラブってしまった人にはまだ申し訳ない気持ちもあります。それでもおかげさまで気付けたことも多いから、お互いさまであちらもそうであればいいのになとカラリと感じることがやっとやっとできました。瞑想や考察は時間がかかりますが、それ以上の価値もあります。年末までに心のトラブルを整理して、次の目標に向かっていきましょう。