勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

お世話になった方へ

10年前の春に今の家との出会いがありました。

冬に初めて物件見学に訪れて、春前にはとんとん拍子に購入を決めました。

子供たちがまだ4歳、2歳、0歳だった頃です。末娘は生まれていませんでしたね。

それから1年程、月に2回ほどの週末に通う年月があり、その後2年程、駐在でフィリピン暮らしがあり(この間に末娘が誕生しました)、定住は2016年の6月でした。

その後、香肌小学校との関りや飯高地域全体とのつながり、三重県の人脈などができていくわけですが、家の持ち主さん(関東在住)に紹介されて初めて挨拶をした地域の方がこの家の隣人さんでした。

以前の住人の方ともお付き合いがあり、空き家になってわりとすぐで、子連れということで歓迎してもらいました。週末田舎暮らしの間は数週間来れずにいると気に懸けていてもらいましたし、駐在の間は今の畑(当時は野原)の草が伸び放題なのを見かねて草刈りをしていてくれもしました。

ただでさえいい加減な都会からの移住者に、田舎のしきたりや地域のルールなども教えてくれました。頭が痛いこと多々だったと思います。いつもびしっと草刈りをされている横で自然農の畑として、草を生やしまくりの畑を作って、やきもきされたと思います。小さな子供たちが好き勝手に走り回って、注意するどころか推奨する私の姿にあきれること多々だったでしょう。

それでも根気よくというか、言いたいことは伝え、大きく見守ってくれていました。

その方がつい先日、雲の彼方に発たれたのです。

10年の間でしたが、ありがとうございます

時代が変わったなと感じました。

10年居てくれた人が去ると共に、なんだかいいも悪いもなく、新しいステージに移っていくんだなとの直観がきたのです。

自分にも他人にも基本的に厳しい方だったので、ピシッと注意をしてくれる人がいなくなったことを感じると、ぽっかり穴が空いた気分です。もう数年前から体調は崩されていて、ものすごく不本意ではあったことは容易く想像できますが、ピシッと草刈りもできなくなっていました。後々のことを考えて、時々木の剪定はしておられましたけどね。

ああそのうちなのかとの予兆はあったのですが、いざ本当に失ってみるまでは目を向けられなかった自分の気持ちもあるものです。

淋しい、なぁ。淋しいです。

 

敷地の境界辺りに草が伸びていると「抜かなければ」と緊張したものです。

頂いた薪(ご自身で剪定されたもの)を数日放置しておいてしまうとドキドキしたものです。

すっかり気が抜けて遊んで帰った夜にヘッドランプを付けて働ている姿に遭遇すると、背筋がピシッとしたものです。

恥ずかしいほど滑稽に、ほとんど後ろめたさしかないですね。

 

体躯は小柄なのに、大きな存在でした。

ぐうたらで怠け者でいい加減な私とはとても好相性とは言えなかったですが、こんなにすごい人がいるのだと開眼の刺激がいっぱいでした。

多少、極多少は影響を受けたのか、逆に殻にこもってしまったのかは自分ではまだわかりませんが、田舎暮らしに飛び込んですぐに全く違うタイプの隣人さんに出会えたことは、我が家の軸を太くしてくれました。

なんだかいろいろと、大きな存在だったのです。

 

お葬儀が土曜日の午後でした。

週末にゲストハウスが稼働していたならばその準備やお迎えで行けなかったかもしれません。中学生の部活があったら間に合わなかったです。それがちょうど予約もなくテスト前のタイミングでした。家族そろって最後のご挨拶とお見送りに行けたのです。

 

偶然なのですが、隣家のお孫さんは家は離れていますが中学生の娘たちのそれぞれ同級生です。教室でも地域イベントでもなく葬儀という場で出会ったそれぞれの子らがどう感じたかはわかりませんが、見知らぬ人が多く緊張している中で、慣れた顔を見つけて少しでもホッとしていてくれたらいいなと思います。もちろんそのために訪れたわけではなく、子供たちにもきちんとお礼を伝えてほしかったからです。

お世話になりました。

私が把握できていないところでも、見守ってくださっていたでしょう。

危険な動きをしていて注意を受けて、「へっちゃらやのになぁ」と思っていたかもしれません。でも、確かに見守ってくださっていたことには向き合ってお礼を伝えたいです。

お隣で田んぼを続けて下さっていたから、水田の風を感じることができていたし、田んぼの生き物も楽しませてもらえたし、地域の業者さんがやってきての田植え機やコンバインの稲刈りに心躍りました。

次年度からも田んぼは続けてくれるかもしれませんが、そうでないかもしれません。

身体が動きにくくなってもそれでも続けていたのは、ひとえに頑固ともいえるおじいちゃんの強い意志があったからなのですから。

 

ご家族の暮らしは続いていきますし、私たちの暮らしも続いていきます。

過疎高齢化の田舎では人生の幕を閉じられるというのは左程珍しいことでもなく、前後はするけれど順繰りにというのが共通認識ではありますが

やはり、人ひとりの存在は、とてもとても大きいです。

その実感をこんなに感じさせてもらえるとは、我ながら驚きなのです。

 

ありがとうございました、でいいのかな。

まだまだ目を光らせていて下さい、のほうがいいのかな。

今日もまた暑かったり雨っぽかったりで敷地の草取りをサボっておりますが、いつまでもそんなことではいけませんね。隣人として10年越しに「よしよし」と思ってもらえるように、涼しくなったら少しは動こうかな。

日々の草抜きを通して、心の会話みたいなのができたらいいなと、恩返しを想います。