先日ちょっと長めにインタビューされる機会がありました。
今までの田舎暮らしだけでなく、その前からを振り返ることとなり、広く人に伝える言葉を私なりに考え直す機会にできました。
多くの人が軽く知りたいのは脱サラエピソードであったり、うきうき自給暮らしであったり、食べ物のこととかお店のこととかのようです。今更感たっぷりだけど、人を変え時期を変えてでも惹きつけられる人が多いのなら、それなりには乗っておかなきゃいけないのかなと受入れる努力はしています。
「元エリートサラリーマンが、田舎で農園にチャレンジして、苦労はありながらも地域に溶け込んで頑張って生き直している。それを理解し支える奥様と子供たち」
うーん、めっちゃ添え物感で私としては嫌悪なエピソードなのですけどね、本音は。
おじさんのための物語ではない、むしろ私が子育てのために望んでの田舎暮らしであり地域との関りなのに、家族で仲良く頑張っていると、なぜかスポットはほとんどお父さんになってしまうことアルアルです。
話を聞きに来るのがおじさんだと仕方ないのでしょうか。ムキになって書き換えたところで理解できないだろうなぁと少し投げやりで、まあ受入れています。
だいぶ立ててもらっているほうではありますしね。僻んでいても仕方がない。それはそれとして自分の人生をご機嫌に貫くことでしか、生き甲斐はないのです。
なので私の言葉が取り上げられるかどうかはわかりません。多分埋もれてしまうでしょう。だから自分で図々しいまでに書き残しておくのですよ、大事なことは全部。
私が聞かれたこととしては
・田舎暮らしをするという話に反対しなかったのか
・地域でどういう役割をしているのか
・暮らしてみての想いなど
ざっくりこんなことでした。
前二つは今さら綴るほどでもないので、最後だけ強調しておきます。
元々自然の中で暮らしたい想いが強く、生き物好きでした。多様な生き物がいるところで悠々と暮らしたかったのです。
子育て環境としても、川のそばで自然素材がたくさんあるところがよかったのです。慣れない場所で親子でチャレンジを積み重ねていくことこそ最高だとの確信があったので、何のためらいもなく暮らしを変えました。四季の変化を感じ、好奇心いっぱいにたくましく生きる力を付けていくことは、不安が多いらしいこれからの時代には欠かせないとの直観もありました。
時代がどうあれ、私は子供たちと協力して自身の人生を生きたいです。そのための知恵と力は自然に囲まれた里山の中で体当たりで身に付けていかばいい。
と、そんな極自分本位な動機での移住でした。
世の中の流れがどうあれ、他人がどうあれ、自分が生き延びていくための挑戦なのです。他人の顔色を窺ったり他者との関係に縛られて生きにくくなることを避けて、身勝手にわがままに笑って暮らすためにここにいるのです。
人間社会よりもナショナルトラストを優先したい気持ちもずっとあります。
なのに何故か、ここで暮らしてから、私は案外人のことも好きなのだなと気付きました。自分が自然に囲まれて機嫌よく暮らしていて、周りに他にもそんな人がいることが単純に嬉しいのだなと。サラリとした仲間意識が予想外に強かったのです。
もしかしてそれは昔からなのですが、あまり気付いていなかったです。もっと好き勝手にやっていると自己評価していましたが、もしかしてずっと気遣いもしてきたかな。だからずっと豊かな自然を求めていたのかもしれません。きっとそうなのです。
町内で会う人どなたにも、「わぁ、会えて嬉しいなぁ」といつも思います。
固く約束をすることは滅多になく、なんとなく行った場所で誰かが居る。そんな縁で会うといつも嬉しい。町内ばかりでなく近隣でも会えて嬉しい人が増え続けていて、三重県で明るく過ごす人同士の距離感が好きです。
そんな中でもやっぱり町内の人は更に親しみがあって、生え抜きも新参者もあまり関係なく、老若男女大体会えたら嬉しい人たちです。
私がそう思うってことは多分あっちもそうなので、嬉しさを振りまきながら歩き回っていることになりますね。仔犬みたいね。
苦手な人がいないわけではないけれど、幸い距離があるので会わなきゃいいだけのことなのです。会わずに気にならないのならそれで十分幸せなのです。会いたい人が居て、なんとなく出会う人がいて、会って嬉しい人がたくさんいる。
自然に囲まれているからこそ、人のつながりは和やかです。だからこそ、誰でも来ていい場所作りを続けています。楽しく明るく気軽につながってくれるのなら、人との出会いは嬉しいものです。
やっぱりなんだかわかりにくくなってしまいますが、自分の言葉でそんなことが伝わるといいな。