勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

省みることから進んでいこう

仲間が嫌なわけではないんです。

人と話すのも関わるのも刺激し合うのも大好きです。

あの人に会いたいと思って行動することが多いし、あの人に話したいこと、見せたいもの、わかってほしいことなどもいつだってあります。わかってほしいってのはごく少量にしておかなくちゃねとも自戒しつつ。

でも、狭い中で群れることは性には合わないです。私にとっては群れることは安心にはなりません。それを長い時間かかって学ぶ機会がありました。

群れるって合わないなってことはほんと昔から、自我が目覚めたくらいの中学生の頃から自覚していました。クラスでなんとなくのグループに入れてもらっていることは有難いけど、そこだけじゃなくて誰とでもフラットに関わりたいのだと知っていたので、あちこちの人と話していました。そして人間関係はどこまでも一対一なので、グループに所属していてもつながっていないことはままあるのだとも感じていました。もちろん仲良しの仲間の中でだんだんと一対一の関係を築いていってより仲良しグループになることはありました。けれど例えば当時5~10人ほどいた中で、つながり続けているのはバラバラに2人程度かな。クラスや所属単位が違えばまた違う集団になりながら、大体細々と2人ずつ程は続いている感覚です。グループになっていなくてもつながっている人は他にもいて、どこまでも一対一です。だから当時の仲間でいま集まろうなんてことは一切ありません。そんなものだと思っています。

中心となるリーダー的存在に群がって、横のつながりはあるようなないようなグループにいて安心することは私にはなくて、てんでバラバラの親友がちらほらいるってのが私の人づきあいです。

我ながらちょっとすましているところありますね。

時々孤独風吹かせて痛いイメージになることだってあります。

それでも自分が群れるイメージってちっともなくて、ゆるく所属はしていてもあくまでも個人が大事です。他人にどんな勘違いをされようとも、それぞれ個々を大事にして在りたくて、私にはそんな生き方しかできません。

 

 

サウザー様に学ぼう

群れたがる人とのつきあいはずっとなくて、部活の頃でも会社員時代も駐在妻の頃も、ゆるい仲間の中で、個人個人としてのつきあいを深めていくことばかりしてきました。いつの頃も合う人はいて、あまり合わない人もいて、それでも大きくは仲間意識もあって、そんなものだと思ってきたのです。田舎に移住してからも、近隣の人でも子供つながりの人たちでも、お互いに心地よい距離感でいろんな人とつながってきました。

わりと誤解されがちですが、私のスケジュールはかなり空白が多いです。忙しくないことを大事にしているので、予定がないことなんてザラにあります。誘われたら丁寧に返事をしますが、従うことはありません。イベントなど自分からは誘わないことも多く、それは友達が要らないってことではなく、むしろ尊重しているからなのですが、誤解されることもありますね。その人に合いそうな話があれば知らせるし、宣伝したいことはオープンに集客しますが、その場合も相手都合が優先ですね。それと同時に私がフラッと出かけたり家族と過ごしたりするときには自分都合が最優先なので、他の誰かと一緒にいなくていいです。

一人旅、一人ご飯、一人時間というのは

家族旅行、みんなでご飯、わいわい過ごす

よりももっと大事だなという感覚があります。

どっちも頻度は多くなくてもいいのですけど、偏るなら一人に偏りたいです。

大体は家族でご飯を食べることを大事にしていますし、地域のイベントなどは積極的に参加するようにしています。友達が頑張っていることに気付いたら応援に出向きます。

人とのつながりが運を運ぶことを実感していますし、一期一会を大事にしています。

お誘いはいつも本当に嬉しく受け止めています。

それでも行動基準は人に合わせるよりも自分で選ぶことには変わりなく、

まあ簡単にまとめると、同調圧力からは全力で逃げたいってかんじですね。

 

そんなこと一貫していたはずなのですが、群れに巻き込まれちゃって脱出しようとして溺れかけたなんてことがありました。群れたがる人っているんだと驚きの学びでした。

仲間として役割をそれぞれ果たすのではなく、なぜだかやたらと思いを一致させたがる人は、意見が異なった時の刺激を面白がるのではなく輪を乱すとして除けたがるなんてこと、思いもよらなかったのですから。

当たり前にいるようで、今まで私の周りにはなかなかいなかった感じの人たちの出現は、何か意味があったのでしょうかね。防御の仕方がわからなかった私が傷を負ったのも仕方がなかったのでしょう。弱っていたのかと反省が深まります。強くあらねば。

もちろん人にはそれぞれの生き方・在り方があるので、それなりに理解や尊重をしながら好きなようにやればいいです。群れが大事な人は群れ最優先で構わないのですが、仲間になったのなら大事にしなきゃいつまで経っても安心感ってなさそうです。そして群れの勧誘は人となりを見極めなきゃ双方しんどいですね。まあ私にはもう本当にどうでもいいことです。

 

一人時間を大切にする大きな理由の一つはやはり本との時間です。

精神の不安がなくなったので、読書推進!ありがとう。