今年も森林インストラクターの資格取得試験が終了したようです。
昨年度久しぶりに東京まで面接を受けに行った二次試験から丸一年が経ち、優秀な後輩たちの試験も終了しています。三重県の森林インストラクター会が次年度更ににぎわってくれることを信じて有り難く嬉しい思いです。その一方で、自分を振り返ってみると、森林インストラクターとして活躍どころか成長どころか知識は低下するばかり、勉強前とどこまで変わったのかも怪しい状態になっております。薄々感じてはいたものの、「水は低きに流れる」とは言ったもので、何にもしなくていつの間にか実力者になっちゃっている、なんて上手い話はありませんね。積み重ねこそが実力です。
この冬は暖をとるのに炭を使うことが増えています。園主が地域の炭焼き事業に加わるようになって炭が手に入りやすくなったという極前向きな理由からですが、炭もまた木からの副産物。ますます木のことを知らねばという思いは募るばかりですことよ。
私に森林インストラクターという資格がなくて、ただ豊かな森林の近くで暮らすだけの人だったなら、「ちゃんと知らなきゃ」と強くは思わなかったかもしれません。けれど、資格って自覚することなんだと思います。〇〇なんだからちゃんとしてなきゃねって自戒を持つために資格と縁があるのかなと。
森の先生としての実績も、森林インストラクターの活動にもなかなか参加できないばかりで焦りや情けなさはありますが、私の持ち味の一つはあきらめないことです。成長速度は遅いものの、粘り強く同じことを思い続ける力に関しては、結構信頼しています。それが自分の好奇心に合っているならなおさらのことです。
何度でも何度でも学び直して、自覚を磨いていく価値はあるのですから。
森林インストラクターに限らず、縁のあった資格にはなんらか意味があるはずです。
大人になっても運転免許を持たない頃は、交通事情について何も知らず、子供達に教えることも少なかったですが、普通自動車運転免許を持ってみると、運転者としての自覚がつきました。道路を使用する者の一員として、いつまで免許を許され続けるかもわかりませんが、長く認められていたいものだと思います。
初級ですが薬膳マイスターの資格を取ったのはもう10年も前です。取る前から医食同源を肝に銘じて家族の健康を担っていましたが、資格があることでより自覚が深まったことは確かに感じています。その先のコースに進むほどにはのめり込まず初級に留めているのも自覚してのことですね。食とはそのくらいの関わり方がちょうどいいです。
そういえば、英語系の資格にはちっとも縁がないのでした。
TOEFLとTOEICのどちらをいつ受けたのかも覚えていないし、なんとなくかっこいいかなと思って受けた国連英検(英検とはまた違うやつ)は対策足らずで受からずにそのままになっています。勢いで受けた漢字検定はすんなり通ったことを振り返っても、資格とのご縁や相性は確かにあるのだと思わずにはいられません。
先日、大人になってから保育士試験を受けて通った人に出会いました。
9科目で全て6割以上をとる必要のあるこの試験もまた、一時期は本気で興味を持ちながらも挑戦しなかったものの一つです。
受けて資格を取った方は、これから活かす必要のある人なんだなと思うととても眩しくなりました。
世の中に数多くある資格や検定ですが、自分に結びつくものは極わずかです。いくら人気があったって、稼げる資格やモテる資格であっても自分に興味関心がなければ飛び込んでいくことはできません。少なくとも私にはね。
○○士、○○師、○○家などカッコいい呼ばれ方への憧れもありますが、そうなれる気がするかしないかは大きな分かれ目です。
資格に関してあちこち見ていて、下記のまとめはなかなか面白かったです。
この中なら私はeco検定かビオトープ管理士、或いは世界遺産検定ですが、これらで食べていける自覚が生まれるかな。
とどのつまりどんなことして何に関心の照準を当てて生きていきたいかなので、当分は森林を軸に道を少しずつ太く明るくしていきたいです。文学士であることも自覚し直して、私の道は楽しそうかな。