勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

他人軸を気にするのをやめたよ

お題「思い切ってやめてみた事」

なかなか人気のあるお題です。

喫煙や飲酒、散財や時間の浪費などを思い切ってやめられた人たちがいて眩しい!

断捨離できる人たちもずっと眩しい!

 

私は飲酒もカフェインも寝坊することもやめる気すらありませんが、整理整頓もできないまま今年の年末も迎えそうですが

自分の心を守ることは頑張ってます。

 

というわけで「思い切ってやめたこと」は

他者のために自分を削ることになりますね。

社会人である以上ある程度は引き受けますし、情けは人の為ならずなことは身をもって知っていますが、ブレない軸は自分で持って整えておかなくちゃ人生無意味です。

ものさしもいろいろありますね

他人軸とはつまり、礼儀や気遣い以上に

こんなこと言ったらどう思われるのかとかを気にし過ぎてしまって

嫌われたくなくていろんなものを胡麻化して日々をやり過ごすってことかな。

 

自分軸っていうのは

自分がなにより大事で大好きで、好きに正直

他の人もそうあることを知っているから尊重する

程よく心地よい距離感を保って、認め合って生きるってことかな。

 

絶対的他者を基準にしている場合はブレないのかもしれませんが

他人軸がいくつもあったり自分軸と明らかにズレているのは苦しいもの。

子供も絶対的な存在である親からだんだん分離して自己確立していくのだから

大人が他人軸ってそもそも成長できていない気がします。

 

そんなことに気付いて自分を整える努力を始めてもがいているのはここ数年のことなので、全くもって何もえらそうなことは言えませんが、自分軸に軌道修正ができたことには人生を無意味にすることがなくてよかったと心から安堵しています。

 

親孝行もやめてしまいましたね。

気にすることをやめたというか。

以前は親孝行できていない自分を心の中で責めていたのですが、かといって美しい孝行な行動もできなくて苦しくて。

子供がある程度大きくなったことでやっと気付きました。

親が私に望んでいるのは、わかりやすく尽くすことよりも、立派に楽しく生きている姿なのだなと。

これもまた私の感覚なのかもしれませんが、いいんです、よくわからないなら自分で決めたらいいんです。

 

まだ学んでいる途中の話で実体験として腹に堕ちるまではいってないのですが、親との関係性が人生には大きな影響を及ぼすけれど、それもまた自分次第って話があります。

母親に対する感情がクリアであれば、全体の人間関係がうまくいき

父親に対する感情がフラットであれば、経済性がよくなる。

 

深い、深い、深い教えですね。

人間である以上ほんとうにいろいろな人間関係がありますが、基本はやはり母となのだと。

私は小さな頃とても可愛がられたけれど、考え方や生き方がかけ離れていることから、思春期以降、さらに結婚以降にこじれた経験があります。

それ以外の人間関係はそんなにぐちゃぐちゃにはなりにくいのですが、時々不可解なことがあって、衝突してしまう時は何故だか母の姿とダブるってことがありました。

うーん、なんだかやはり、すごい影響力ですね。

だから、完全に母を受容できたらそれだけでいいんです。

そして他の相手は知りませんが母に愛されていることは知っているので、私は自分らしくいたらいいんです。

そんな学びはここ数年で体感した人生の宝ですね。

 

今後父への想いがもっとクリアになったら経済状態が上がっていくのでしょうか。

数年後に読み返してびっくりしてみたいな。

 

この「思いをクリアにする」というのは、対面してわだかまりを解いたりしなくていいのですって。完全に自分の中だけで心内だけ変えていけばいいのだと。

知っている人には「そうそう」ですが、数年前にメンタルファシリテーションを始めて受けたときの私はびっくりした、集合意識のことです。

個人の意識は奥で他者とつながっている

これが本当にわかっていると、肉親に限らず他者の目線や他人のものさしを意識して、自分を押し殺して生きているのは相手のためにもならないってことが当たり前になります。誰かが苦しいと実はみんなちょっとずつ苦しいです。整っている人、明るくて活き活きしている人がいると、みんなちょっとずつ幸せになります。生まれたての赤ちゃんを周りで囲んでいる人が幸せに包まれているみたいにね。

 

だからとにかく、自分の内側を整えること。磨くこと。軸を保つこと。

ブレブレだったからかなりの努力が必要でしたが、できるんだなってわかってきたのが救いです。お手本が居てくれたことも大きいですね。

 

他者のものさしなんて結局わかんないし、相手によっても変わるだろうし、そこの自分を合わせていくなんて自分にも親にも申し訳ないです。どんな姿であろうと自分と仲良しでいることが結局は他者とも仲良くやっていけることになるんじゃないのかな。

 

 

親孝行やめてますが、もし親孝行できていないことで胸がチクリとするのなら、さらっとギフトでもいいよね。親がまだ元気なら、いい時間を過ごしてくれていたらそれだけでもうとっても有難いのですから。

ペット好きだけれどいつまでも飼えない親にはこんなものも。

結婚式で赤ちゃんの時の体重ベアをプレゼントした気持ちのままに、こんな贈り物もいいなぁんて。

ずいぶん気楽になりました。

身内にも他者にも会うことをずいぶん構えなくなりました。

適当なことを口走ってしまって「あー、言い忘れた、あれじゃなかったか」なんて気付きと反省はしょっちゅうですが、多少すれ違っていてもどうってことないってこともだんだんわかってきました。

他者の些細な言動が気に障る人は、結局自分の言動を受入れられていないのだと。

思ったより深めの話になってしまって自分でも驚きですが、これもまたプロセスなのでしょう。人生磨いていくためにはほら吹き並みのアウトプットが効くのですって。