勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

学校が好きだなとつくづく思う幸せ

それぞれの進学が現実化する時期になりました。うちの話ではありませんが、子供が保育園から小学校に上がるときに不安を感じる親が結構多いらしいことに触れ、なんでそんな考えになるのかなと探求していたら出てきたことをつらつら述べてみます。


私が子供の頃はなんとも思わず普通に学校に通っていました。基本的に家から近い公立校です。

現代ならば自由を求めてフリースクールを選ぶマインドなのですが、当時はそんな考えは広まっていなかったし、親はなんやかんやで保守的なのでそう弾けるわけにもいきませんでしたしね。インターナショナルスクールに夏休み送り込んでもらった体験はありましたが、通常の流れとしてはわりと厳しめの幼稚園を経て、公立の小・中学校コースでした。2クラスずつの小さめの小学校から、3校合同になって5クラスになった、地元では荒れ気味で知られる中学校。不安を感じて引越す家族もチラホラおりましたが、思い出してもとても楽しかったです。そこから怒涛の受験勉強をして4クラスの自由な進学高校。憧れの電車通学は叶わずマッハのチャリ通でした。ここもとても楽しかったです。

小・中・高とカラーはそれぞれでしたが、いつも学校は面倒くさいながらも深く考えもせずに通うところで、辛い時期や気の合わない人はすっかり忘れてしまったので、楽しく通い学んでいたような気がします。だから特に好きでもなく嫌なこともなく、まあそこにあって、私の子供時代を支えてくれた懐かしい場所という感じ。いつか恩返しがしたいとそれぞれの場所について思うほどには大切なところです。

 

でもまあそれよりも圧倒的に好きなのが、現在子供たちが通う学校です。児童でも生徒でもないのにね。

 フィリピンで通っていたアカシアウォルドルフというシュタイナー教育の学校(幼児から高校生まで)もたまらなく大好きだったのです。なにせ子供たちを取り巻く環境がいいし、先生方の雰囲気がゆったりと芯が通っていて、2年間の駐在の間に迷わずそこで学べたことはとても幸せなことでした。もうずっとここに通ってもらってもいいな、私ももっと関わっていきたいな、帰国ちょっと残念だなと思っていたくらい。

 けれど帰国して移住して今の小学校に通い始めて、思いがけず何の物足りなさも感じなかったのです。三重県でも1,2を争う小規模校は、全校仲良く風通しがよく、広い地域で児童それぞれがとても大切にされている素敵な素敵な学校でした。

 

 大体教育熱心な親というのは、学校に対して厳しい目を向けてしまいます。我が子を自分以上に大きく育てよう、そのためにできるだけのことをしようと考えているので、子供にとってふさわしい環境であるか否かの及第点を高くセットしがちです。個性を認めて伸ばし、かつ学力も向上し、それだけではないプラスになる教育環境はどこにあるのか、宝探しのような期待を学校に対して向けてしまうこともザラにあります。そんな馬鹿なで流せる話かもしれません。でもなにせ私は長女が1年生になるときはそんな親でしたもの。自然派で育てたい私の意思を尊重して、更に私が気付かない娘の良さを存分に引き出して、かつ余計なものは与えないでほしいというわがままな親心。それだけ必死なので振り返ると可愛いものですが、まあ肩に力が入っていたのですね。良い学校と良い先生に恵まれて、娘が萎縮せずに済んでよかったです。

 

 人は環境に左右されやすい生き物で、子供なんて特に仲間のカラーに簡単に染まるから、環境を選んだ方がいいというのも真理ではあります。中国古来の教えである孟母三遷は錆びない。とはいえ親が染めたいように染まった子で本当にいいのか、その環境判断って絶対なの?とも当然の疑問です。親が期待したほど子供にはいい環境でなかったということもよくあります。進学校で息苦しくなって勉強が苦手になる子もいるし、規律正しい学校で余計に荒れる子もいます。そしてまたどんなに荒れていて有名な喧嘩三昧の学校に通っても、私が喧嘩で強くなれるとは到底思いません。多少言葉遣いが強くなるくらいでしょう。


ある程度の環境条件はあっても、どんな学校であれかなりの確率で子供は順応します。どこでどんな気の合う友達に出会えるかわかりません。だから自分が現在いるところが世界一と思えたらいいし、親がそれを受け入れていたら最高です。


 私は今の子供たちの学校があんまり好きで、なにかと役目をもらって顔を出しています。暇な人に見えますが、時間を自分で作れるしあわせな人なのですよ。そして地域の大人が関わることが、他の児童や生徒にとっていい影響があることは肌身で感じるので、気後れせず顔を出し、子供たち一人ひとりへの愛情が何年もかかって育まれていっています。もっと身近で教え見守ってくれている先生方は離任の時がありますが、私は家庭事情が変わらない限り地域の人として学校に関わり続けることができます。できることは限られていますが、見守っていることを子供たちも知っていてくれています。多くを求めることもなく節々の関わりを喜び合うことができる、あらなんて役得なと満足な位置付けにいます。


親が積極的に学校に関わることは諸事情ほんとにいろいろあって、一筋縄ではいかないとは思います。子供が学校に行っている間は仕事時間に充てられるので、進学を機にもっと仕事を増やす人は多いです。教育熱心な親は自己教育も未来投資もきちんと考えていて、高校生以上の学費捻出のためにも仕事に力を入れる必要があるというのも納得の話です。学校のことは学校に任せておけばよい?と言いたくなる気持ちもわからないでもありません。

 とはいえですが、子供を長時間守ってもらっている場所と人への感謝と敬意は伝えたほうがいいですね。子供と先生方や職員の方々との絆を、自分のことのように嬉しく見守りたいですね。指導されることに悪態をつく子もおりますが(すいません、うちの息子です)、余計に感謝と敬意しかありません。


あんまり飯高町の学校が好きなので、教育現場が仕事のひとつになればいいなと思うようにもなりました。今から教員になる道は見えないけれど、自分が経験してきたことや学んだことを伝える相手は児童や生徒であればいいなとは真面目に考えます。飯高町と言わず、広く教育現場と関わるために、これからどう働いていけばいいのかな。未来は思っている以上に自由自在なのかもと信じるようになりました。


とりあえず来年度は小学校のPTA会長の任が来ましたので、幅広く縁を作っていきたいです。どうせ引き受けるなら、渋々よりワクワクですね。