自慢でもあり、そうでもない実母というやつは
一番身近な人間関係であるがゆえにいつだってままならないジレンマを抱えています。
そんなことない、手放しで最高!って人はいいんですよ。そんな親子もあるなんてことを知れるのは私には希望です。少し前までは妬みの心が鎌もたげたかもしれませんが、今はだいぶすっきりしているので、美しいままでいてほしいです。
だがしかし私にとっては、いつまで経っても一番不可解な人で、それでもお互いの無限の愛情は知っているし、なんやかんやひっくるめてすべてに感謝しているという存在です。
また不思議な連絡があって、脚が悪いから手術するなんて連絡がふらっとあって
でも病名も具体的な症状も全然情報がなくて、日にちも全然わからなくて
どうしてほしいのか、どうすればいいのかも不明のまま
まだいいかなぁと宙ぶらりんにしていました。
この対応に関して、そんなのすぐ駆け付けるべきという人ももちろんいるでしょうし
どうしたって詳細を確認すべきだと思われる方もいて、うんそうだよねとも思います。
すんなりそんなことできるならそうしているわけなのですが、そうもいかない親子の背景というのもあるのです。存在はしっかり受け止めながらもこれ以上お互い混乱するのもなぁという先送り、他の言い方をすれば「臭い物に蓋をする」という現状なのです。
こちらの言い分としては
・大事な事ならわかりやすく伝えてくれ
・せめて日付くらいは優先に
・今までの状況まとめは
・話の途中で父への愚痴をいれずに
・こちらへの気遣いを匂わせ過ぎずに
と上記のような要望があるのですが、これを一時に伝えるとパニックを引き起こした上で望む回答には結びつかないことを重々承知しております。
だから、どうすりゃいいんだよってことを考えているわけです。
で、そんなことをたまたま別件で連絡のあった姉に伝えると共感しかなくて
旦那様や上の娘たちも「うーん、それは」という感じです。
「お母さんの常識と私の見解が合ったことはない」という結論を出すと
急に息子が発言しました。
「親が常識と違うなんて、そんなん当たり前やん」と。
ん?
それって、つまり
なんという勇敢な、空気を読まない、ズバリと鉈をふるう子なのでしょう。
流石の私も母に面と向かっては「あなたの常識はおかしい」なんて言わないのに
「親は常識と違うなんて当たり前」というセリフには、お前は非常識だと言っているも同じなのです。面と向かって。昨日息子の態度の悪さについてバチバチ主張し合ったばかりなのに、また地雷かもしれないことをぶつける面の皮の厚さよ。
でもそんな刃が私にはめちゃくちゃ薬だし、発見が多い学びとなるし、息子ナイスです。彼好みのギャグにするならばナイスなナイフです。
そうなんですよね、自分が親のことを「なんてわかりにくくて厄介な人!」と思っているということは、我が子はまた私に対してそう思っているのです。
でもそれをも受け入れて共に居る。
自分の言いたいことは伝えながら、屈しきることはなくて、でも受け入れることも多く、上手にいなす練習を重ねている。なんとも深い人間関係であることか。
家族は人間関係の練習台で、親子とか兄弟姉妹とかは、順調なだけであるよりもむしろ、もまれていることが肝要なのです。私はどうも息子を甘やかしてばかりで人間関係の練習相手として不足気味かなという自己評価はガラガラ崩れ、彼にとって「非常識な重たい女」認定だったなんてね。
それでも母の愛はちっとも揺るぎませんし、むしろピクリともしません。
そうやって私が子供に絶対の愛情を持っているように、私の母もまた私たち姉妹に絶対の愛情を持っているのかな。恐る恐るの時代が長かった身としてはすんなりと納得はできませんが、もしもそうならば怖がらずにもう少しぶつかってもいいのかもしれません。それでも大人になって離れて暮らす時間が長いと慣例として気を遣ってしまうのもまた子の事情です。だってそこにあるのは配慮なのですから。
遠慮し合う親子関係にだって、ひとかけらのムダもないのです。
一番遠慮せずにいられる幻想を抱きたい関係性で、いつもヒヤッとするすれ違いを経験していると、そしてそれに屈せずに広めの視野を育てられていると
早い話、鍛えられてしまいます。
母にも自分の常識を求めなくなると、誰とどんなズレがあっても気に病まないでよくなります。だって他の人間関係はそこまで大事でもないしね。衝撃の大きさでいえば爆弾とBB弾くらいの隔たりです。
お手上げだよーって感覚になってなお、悲壮感もなければ抑うつ感もないので、大概のことは幸せな状態で受け止めることができますよ。
やはり、自慢でもありそうでもない。
親子の連鎖は好循環に違いないです。