勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

私は何者なのか、自覚する

今週のお題「練習していること」

いろんなタイプの言語化に挑戦しているのが2024年の生き方です。

 

これまでもコラムみたいなブログ書いて、アカウントに合わせてSNS発信して、毎月定期便に合わせてお便り書いて

お客様とのやり取りやLINEであっても書くことに真面目に向き合ってきましたが

もっともっと突き進もうというのが練習していることです。

 

昨年から短歌に手を出して、まだヒヨコ感まるだしなので、量を増やしています。

毎日できるものでもないので、きっかけがあればまとめて。

感覚をつかむにも磨くにも、慣れるしかないです。

日本語の中でも使い方が違うなぁ、ルールに則りながら自分の言葉で伝えるのは本当にやり甲斐があって楽しいなと頭がキラキラしています。

 

そして詩作も!

全然発表できておりませんが、いつだって考えているのです。

イメージが湧くと言葉はするりと出てくるので、イメージをどこに合わせるかに四苦八苦中ですね。残したいイメージと想いはなんなんだろう。

これもまた数をこなさなくちゃお話にならないから先に出すしかないのですが、えいやでひとつひとつ書き上げるのがなかなかどうして苦戦してます。

いやぁ、全然進んでないことを自分でわかってるのは、辛いなぁ。

もっと簡単にできると思ってたのになぁ。

でも、そうじゃないところが、とてもいいです。

なかなか進まなくて悔しいことこの上ないけど、自分の中がメラメラと燃えていくのをすさまじく感じるんです。本当にやりたいことってこんな感覚なんだなぁとわかると、にやけちまいますね。

ずっと書いていたかったね

書く人でありたい。

子供の頃からそればっかり夢見てきました。

練習、足りないなりにやはり一番時間と意識を使っています。

どれだけ流麗に本気で具体的かつ普遍性もある文章が書けるか。

目標設定が高過ぎてかすってない感があることに書き出してみて気付きますね。

 

さて、そんな風に文章を練習するのがとことん好き、でもなかなか形にならなくて苦しい思いをしている私に、「ストーリー書いてみて」の声がかかりました。

やってみたかったけど、飛び込んでみたかったけど、挫折しまくっている道。

でも他の誰かに取られるのは悔しすぎる私の道。

 

練習しよう。今またその想いが大きくふくらんで火がついています。

 

そういえば、先日の春分の日に、ジコチュウな願いを叶えようという呼びかけがありました。他者頼みではなくとことん自分に関係することをアリアリとイメージして願いを放つのに最適な時間というのがあったらしく、ゆるく乗っかって願いを放ってみました。イメージを描くというのも練習強化中の大きなことです。

豊かな時代のより豊かな環境にいながら、私はまだまだ書く時間を集中して確保できていないし、次々と書くお題をこなす波にも乗れていません。乗れないままで時が過ぎていきそうで怖くてたまりません。

だからイメージしました。

うちから近いけれどうちではない小さな小屋を文筆家としてのアトリエにして、ファンレター(アナログ)に励まされながら、ズラっとならんだ著作に元気付けられながら、書いたものを届けることをイメージしました。

もっと小さくてシンプルで

絵が描けない私は近いイメージ画像を探して整えるしかできませんが、ちんまりとした暮らすにはいろいろ足りないシンプルな場所で、自然の音に囲まれて詩作に耽るイメージをふくらます練習をしています。

里山の詩人として、書く。

恥ずかしげもなく宣言して、応援エネルギーを全部受け取って力に変えていく。

有閑だけどバリバリ仕事して堂々生きていきたいって思ってるから、仕事=書くことじゃないと私の人生成り立ちません。密やかな小屋にたくさんのファンレター(アナログ)が届く。それを100倍にしてまた送り出す。

今までのこともこれからもことも自分の言葉で綴り、より価値の高い言葉にしていく。

ドキドキするけどそのうちそんなの当たり前になっている未来が、なんだか見えてくるようです。