勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

お花見風景2023です

桜の時期こそ今年も咲いたなぁ、最高だなぁという感激を共有したいのに、そわそわ気分が続いてしまい、また急に陽のもとで過ごす時間が長くなってしまうと眠りが長く深くなりがちで、ブログでの共有がとても難しくなるジレンマを抱えています。

共有したいのはなんなのか。

今週のお題「お花見」

 

お花見は全国どこでも盛り上がっているのであえて地域自慢をする必要もありませんが、ここの花もきれいだよというのはまあ伝えておきたい気持ちはあります。

うん、こんなかんじ。

雨の日が続いてからの青空はより感慨深く、たくさん桜を入れたい気持ちと、青空とのコントラストを活かしたい気持ちの挟間で。

写真もまだ向き合い始めて日が浅く、光とかぼかしとか忘れそうになることばかりで撮るのがしんどくなりがちですが、今しか残せないものと向き合うチャンスはありがたいなと感じます。

 

毎年どうしてもお花見に行くスポットはダム湖にある公園です。

10年前くらいは地域の桜祭りでめちゃくちゃ盛り上がっていたそうですが、私たちが移住してからはすっかり人が少ない贅沢お花見場所になっています。

それでも年々じわじわと人が増えている隠しきれない場所ですね。

貸切もいいけど、ぽつぽつといろんな人が来られて、ここの桜をいいなぁと思ってくれるのは地元民としてはなんだか嬉しい感じです。

花って咲いていても誰にも見てもらえないと寂しい気がしませんか。

見られ過ぎても擦り減りそうだけど、見られないのももったいない。広々とした地域で暮らしているとそんな感覚が育ってきます。

30年前にダムができて、作られたこの桜でいっぱいの公園は、地域の歴史があります。

お父ちゃんとセピアで撮るとなんだか資料集風の写真になりますね。

ちょうどまさに歴史に関わっていた地域の方に出会って、またたくさん話を聞くことができました。そんな話を次に来る方々にかみ砕いて伝えていくのもきっと役割なのです。

 

先日、香肌小学校に子供を通学させるために移住されたばかりの2家族の歓迎会を開きました。

本当はこの場所でお花見をしながらのびのびと過ごしたかったのですが、どうにも雨でおうちでの集まりになりました。

食事を囲み、大人が飲みながら話をし、子どもたちはなんとなく寄り添って遊ぶというのも人の距離を縮めるのに有力ですが、陽の光とか風通しとか樹木の力がそばにあったらもっといいのになとどこまでも欲張りな私です。

駐車スペースも十分、走り回るのもOKなこの場所で、きっと次年度は集まれますね。

ノルマではなくてあくまで妄想なのですけどね。

 

そうそう、妄想と言えば「お花見は稲の豊作の予祝である」と教えてもらいました。

白に近い桜の花が満開の時の豊かさをしっかり味わって、米がたくさんある収穫の時を思い浮かべていたのが、日本の伝統としてあるのだとか。

そういう風に学んでいたら、何も考えずにお花見を楽しんだあと、どうにもこうにも田んぼ仕事をしたくなってしまいました。

苗床を整えて、場所作り。

田植えまでも、種もみ撒きまでもまだまだですが、桜と米が結びついたのは初めての感覚で、なんだかやけに誇らしかったです。わさわさ咲いたとりわけ美しく豊かな花のように、米の実りもあるのかな。


www.youtube.com

 

ひすいこたろうさんは作家さんですが、最近始められたYouTubeでとてもいい声を聴かせてくれています。ホッとする配信を長いのも短いのもいろいろ撮られているのでお気に召す方がいたら嬉しいです。奥の奥からの優しさが広がっていくイメージをいただいておりますよ。

桜の時期はまだもう少し続きます。

花吹雪が気持ちよくていいなぁって感覚も存分に味わっていきたいですね。

その後、他に咲き誇る花を一つずつ味わっていきたいです。

なにせ芽生えが多過ぎて追い付かない春の日々。なるべく長く野で過ごしてたくさんの命を祝っておきたいです。そうするとよく眠れて心地良さが連鎖していく春の日々です。

山の時間、人の時間

飯高町で江戸時代から林業を営まれるおうちの方に、山案内をしてもらうという超贅沢な機会の3度目は、静かに山での時間を味わうことがコンセプトでした。ついおしゃべりし過ぎてしまう主張派アラフォー女子たちへのけん制というだけでなく、子どもたちに対しても山案内はいつもそんな時間を設けるそうですよ。私もこう見えて実は静かな時間が大好きなので、喜んで口をつぐみました。

ビジョンのある山と100年先も共に居よう

飯高で有名なウォーキングコースのすぐ近くですが、一般人は普段、踏み入れられない場所です。預かっている山として元々管理されていた場所や、途中から管理することになった場所、植林後20年だったり60年だったり80年だったり、同じ樹種の同じビジョンでも時間が違う場所などを案内してもらい、光の入り方や間伐の役割などを現場で学びました。水が流れる豊かな山でも管理されているところといろいろと事情がありながら管理行き届かないところでは、雰囲気がまるで違います。ということを改めて感じる素敵な発見でした。

 

ちょうどつい最近、亀成園の裏山も間伐してもらったばかりです。元々はこのうちも林業家さんのうちでした。より山に近いところにも腕のいい林業家さんがおり、立派に育っていた山です。でも手入れをする人がいなくなって久しく、なんだか暗い森になっていました。素人がおいそれと手入れできるものでもないのでどうしようかと考えあぐねていたら、間伐のみなら補助金が出て作業をしてもらえるということで飯南森林組合に夏から申し込んでいました。ちょうど先日、急に車が何台も来て、どんどん切ってくれて、あっという間に明るい森になりました。

足の下には切った木がゴロゴロと。当分燃やすものには困らなさそうだなという豊かな気持ちと共に、せっかくの材木をもっと活かしたい気持ちでウズウズします。

資源があっても価値がわからなければ活かし用もありません。森で育った木が誰の手によってどこに運ばれ、どんな加工を遂げて誰の役に立つのか。そんな基本的なこともそういえば知らないまま過ごしています。杉や檜の用途や使われ方、間伐するときの木の選び方や森の育て方など、たくさんのことを学んで実感してきたつもりで、まだまだ自分ができることは何にもないなと気付くとちょっと泣きそうになります。

それでも、明るくて生き物の多い豊かな森のそばで暮らしていきたいし、美しく強い森を未来に残していきたいのです。樹のエネルギーをありがたく受け止めて、できるだけ丁寧に暮らしに活かすことこそが、持続可能な未来ってやつだと、改めて気付いているのです。樹に支えられた暮らしを伝えていきたい。

 

今回の山案内で一番熱く伝えてもらったことは、今私が触れることができる木を植えた人の姿や気配を感じること、山に居る時でなくても山のことを想像して過ごすことができるつながりを、山はいつでも待っていてくれるということです。ちょっとわかりにくいかな。

コケ萌えという喜びもあります

目の前のこの切株は、10年前の間伐作業のときに、ある人が休息用にと残しておいてくれたものなのだとか。そう聞くとその人の姿が浮かび上がってきませんか? 座って休憩してお弁当を食べていた人の姿や、ヒラヒラと止まった蝶の姿まで見えてくる気がしませんか? そして今私が写真を撮ったり、切り株に座ってココアを飲んだりすると(ココアごちそうさまでした)、その姿もまたこの山に残っていきます。山の記憶は重層的です。道がなくなったり木が変わったりときには地形が変わったりということもありますが、ビジョンを持って管理されている山は、急激に変わることなく淡々と時を刻んでいきます。

木の歴史は年輪に刻まれ、風化せずに生き続けてくれていると、過去も未来もその場所でつながっていく。なんだかそれって、大きなものに包まれている安心感があります。

下から見上げてまっすぐな木が良質なんですって

米作りに文字通り命を捧げている方の重みたっぷりの言葉で

「自分が田んぼでその年にどうしてきたか、稲を見ればわかる」と伝えてもらったことがあります。

どうすればいい稲ができますか?どこを変えたらいいですか?と教えを乞う人たちに対して、「答えは稲が知っている」とのメッセージはぐさりと刺さる言葉でした。なにせ田んぼは毎年のことで、天候や土の状態もあれど、わりと結果が見えやすいですね。

さて林業でも、天災や土地の富力の差もありながら、木を見ればやはり育てた人が見えるのでしょうか。「ああ、この山のこの木はいいなぁ、素晴らしいなぁ」と、植えて数年では感じることはできません。はっきりとビジョンを持って育てた山の完成した姿を見れるのに20年から30年、50年、100年先までかかることもザラにあるのです。

そう思うと、植林された立派な木を見ると、植えた人や手入れをした人の自信に溢れた顔が見えてくるようです。そしてもし自分が木を植えるなら、未来の人にいい顔してほしいなぁという気持ちが自然と湧いてきます。

 

そしてまた、山で時を過ごすのは人と木ばかりではありません。

はげ山でない豊かな山では虫も鳥も獣も、草も花もそれぞれの適地で生きています。

ここに大きな生き物がいたという動かぬ証拠!

強運にもこの日に鹿の落ち角を拾うこともできました。通常春先に落ちているのを発見することが多いのですが、ふと目を落としたところに風景に溶け込んだ落し物がありました。先っぽがかじられているのはタヌキの仕業かな。私の通った同じ場所に、確かに立派な鹿が居て、頭をふって角を落とした一瞬があったのです。

 

今この時もまた、山にはたくさんの生き物がいて、悠々と育つ生命があります。冬は樹も虫も亀たちも息をひそめてじっとしていますが、あの山に、あの場所で、命がある。いつだってそう思えることは、ちっぽけな私にとってどんなに豊かな感覚でしょう。

そんな感覚を見事に表現した大好きな絵本を思い出しました。サハリンで子供時代を過ごされた神沢利子さんのイメージにある森と動物は厳しくも豊かです。

www.fukuinkan.co.jp

大きな感覚を持ち続け、目の前の植物や木のひとつひとつに向き合っていく。進んでいく道がどんどん見えてくる静かな時間でした。多分かなり、静かにしていたはずですよ。

来月もう一度、仕上げの山案内があります。ごちゃごちゃ考えていることがすっきりして、子ども心でめいっぱい楽しめたらいいなと描いています。

 

他の生き物と近い生き方をする人である原点は

今週のお題「人生変わった瞬間」

ふときたこのお題についてピンときたのも何かの縁なのでしょう。

鈍くさいのに学生時代にアウトドアの部活を選んだときとか、仕事の保証もないのに田舎暮らしに飛び込んだときとかももちろん私の人生の大きな舵取り分岐点ではあったのですが、もとはと言えば子供の頃のある経験から繋がっているような気がします。大阪の郊外、箕面の住宅街で育っていた小学生の私がよく考えもせずに選んだ一つの選択が今と大きくつながっています。

ふわっと感じているだけのことではありますが

 好むと好まざるとに関わらず、個性的な人であるとよく言われます。名前が変わっているし、血筋も混血だし、経歴とか人生の歩みもそれなりに変わっているのだとは思いますが、多くの人と決定的に違うのは、他の生き物への接し方なのかなと思うことがあります。人に期待も依存もせずわりとそのまんまとらえる感覚は、他の生き物に対しても同じで、私にとっては普通の感覚ですが、あまり一致することはないので、ここが境目なのかもしれないなと思うようになりました。あ、人に対して敬愛したりがっかりしたりは普通にありますけどね。そんなにできた人間でもないことは断っておかなくちゃいけませんです。

 とはいえ私の感覚ではヒトとヒト以外はそんなに違いません。ヒトが頂点だとも思わないし、対立しているとも思いません。ただ、幸運にも同じ世界に居て、影響し合っていて、学び合い守り合っているのだと思っています。無為自然の思想などを持ち出すまでもなく、私は今たまたまこの姿で、ちょうど目の前の畑に寄ってくるサルの群れもたまたまその姿で、稲に群がる雀もまた、奪われたり追い払ったりの攻防もまあお互いできる範囲で関わっていきましょうという感じ。そこには別に大きな対立も支配もなく、たまたま自然の流れで取ったり守ったりしているだけだなぁと淡々としています。コラぁと追い払うし、私の取り分が減る悲しさはあるものの、徹底的に排除しようとか絶対隠そうという気にはならないのが当たり前ではないのですね。人に対しては優しいことを言いながら、他の生き物に対してはそういう排除を真剣に考える人も多いのだと改めて気付いてちょっとびっくりしたのです。

 私の転機は小学生の頃、多分5年生です。初めての愛犬がいた頃で年子の姉もまだ小学生だったと思います。自転車で本屋さんに行った道でたまたま、イタチが車にはねられているのに遭遇しました。

 それまでも車に乗せてもらっての移動で小動物がはねられているところを見たことはあったかもしれませんが、自分のすぐそばで可愛らしい生き物が倒れているのを認識したのは初めてだったと記憶しています。記憶はあまりアテにしてはいないのでめちゃくちゃいい加減だったら申し訳ないですが、はっきり覚えているのはその時のイタチの姿です。午前の遅い時間でしたが、大きな道からそれた人通りも少ない道だったためか、はねられたそのまま残っており、きれいな姿でした。

 元々生き物は好きで、動物図鑑が愛読書だった子で、5年生の春から仔犬を飼い始めて可愛がりまくっていたこともあります。たまたま出くわした道端の小さな生き物をそのままにしておくことはできませんでした。本屋での用事を急ぎで済ませ、自転車のカゴにイタチを乗せて連れ帰ったのです。

 

 母と姉はギョッとして、愛犬も吠えまくって、その時私は、家族の中でも感覚が違うことに気付き、これはどうも理解を得られないということを知りました。

 もちろんそれまでもモノの捉え方の違いとか出来事に対する感想の違いや得意不得意の違いなどは知っていたのですが、はねられていたイタチを連れ帰るという選択が母や姉にはまるで理解されないとは思いもしなかったので、あれ、もしかして違うのかと妙に冷静に気付いたのです。

 

 連れて帰ってそのまま置いておくわけにもいかないので、庭に穴を掘って埋めたのですが、今ほど力が足りなかった小さな私は、力持ちの祖母に手伝ってもらいました。祖母は「ああ、もうイタチなんて」と言いながらも触れるし穴を掘るのも手を貸してくれたのです。わりと感覚が近い人だったのでしょう。母と姉は興奮する愛犬のこともあるのであまり近寄らずに遠巻きだったような気がします。とにかく私はイタチを供養しなきゃとそれで必死だったので家族がどう思っていたのか正確にはわかりませんが、頼ったのは祖母でした。

 

 そんなかんじで穴掘り供養をしましたが、そのことは日記に書いたわけでもなく、その後学校で話すこともなく、自分の中ではただできることを探して、祖母に手伝ってもらいながらもできることをしたというだけの話なのです。いいことでも間違ったことでもなく、命に手を合わせたというだけのことです。

 

 その後、山道を走ったり旅をするようになってからは小動物がはねられている機会に遭遇するときは多くなりました。胸が痛いことなのですが、行動範囲を広げたので仕方ないことなのかもしれません。

 北海道で自転車旅をしているときはキタキツネがはねられていたことがあり、とりあえず道路から土のある所に移そうとすると、先輩に止められたこともあります。エキノコックスがあるから近付くとあかんと。最もな感覚だなと思いながらも土に移すことは譲れず、そんなら俺がやるよとビニール袋はめてキツネを運んでくれた先輩でした。いい人だなぁ、でも私が近くで見て触りたかったなぁと今でも思うのです。先輩、なんかごめん。その後もたぬきや猫、もぐらなども、埋める余裕のある時は埋めたし、余裕のないときは運んでそれ以上ひかれないようにするのは私の中では当たり前なのですが、皆がそういう感覚ではないことも知っています。

 それが何故かはまだわかりません。

 いつかわかるのかな。でもわかったところで違いを知るだけですよね。

 

 これから先の生き方として、生き物を学び、森林を学び、生物多様性を守り伝えていくために、インタープリターとして環境教育に携わっていきたいなとなんとなく描いています。そのための道筋がはっきりしているわけではありませんが、里山で暮らす、どうにも言葉の多い人として、自然と人の未来をつないでいくのは当然の役割になるなと予感があります。インタープリターって何?をわかりやすく紹介してくれている愛知県の学び場サイトはこちら。ブログ拝見して私も道筋イメージします。

インタープリター紹介 | 楽しみながら学べる 環境学習施設 もりの学舎

 

 私が持つ感覚を他の人も持つべきだとはちっとも思いません。それぞれの大事な感覚をこそ育てていけばいいし、それぞれの役割があるのでしょう。とはいえ私が今の人生でインタープリターとして生きたいなとこの歳でスタートラインに立とうとしていることもまた無意味ではなくて、間違いなく小学生の頃からつながっています。ほんと、友達と話をしていてもすぐに生き物の話を出してはあきれられていました。なんでそこで象の話になるねん、キツツキが出てくるねん、フクロオオカミについて意見を求めてくるねんと思いながらも友達でいてくれたみんな、ありがとう。アニマル柄の正確な動物を知りたがったり、キャラクターの四肢の不自然さをぼやいてみたり、優しくて違う感覚を持った人たちのおかげでここまでのんびり生きてこられました。

 これからもうちょっとわがままになって、別段期待はせずに普及・啓蒙活動がしていきたいです。聞いてくれる人がいるかどうかもわからないけど、ニッチなだけにスポットが当たっちゃうかもしれません。どんな仕事があるのかな。ないのかな。フィールドはあり、熱意もある。そのうち見えてくるでしょう。

タオルはやっぱりヒョウ柄が好きです。これって生き物が好きだからというより大阪のおばちゃん魂なのか。

山を歩いてみるとわかること

 晩秋から冬に変わる空気の澄んだ日に、再び山案内をしてもらう機会がありました。

山の見かた、捉え方、歩き方、林道の付け方、里山の人々と山の関わり方などをおおらかにわかりやすくレクチャーしてもらいながら歩ける至福のひと時でした。

 

前回の山歩きや飯高町のことを未来を見つめてまとめた記事はこちら↓

kamenarien.hatenadiary.com

 今回の山歩きは、地図を見ながら尾根と谷を足の裏で感じて歩くという、シンプルで実践的な学びを伴うものでした。前回は木がメインで頭に入ってきましたが、今回は地形です。生えている木のこともまだまだ知らなくて知りたくて頭に入れたいけれど、地面と触れている足の感覚をフルに開かせてちょっと静かに歩きました。

 私がお散歩を提唱するときに掲げている言葉のひとつに、

「歩くと頭が軽くなる」があります。じっと動かずに頭でっかちになっているとなんだか重くなりますが、歩いてみて考えすぎないようにすることで、頭も気持ちも軽くなっていき、却って考えがクリアになるということを日々実感しています。座学とフィールドワークでは動きながらの学びの方が後々に残りますしね。

 というわけで、歩きながら学んで体得する機会を山で実感できることは、とても理にかなったお得なことです。是非実際に歩いて感じてみなければ身体に軽く入ってこないので、サラッと記録に留めます。

いつだって土と水の上に生きている

 山の地形はいつだって凸凹です。登りか下りか、尖りかくぼみか。平らなところはまずない。急傾斜のときの上り下りは強く意識しても、ゆるやかな地形を歩くときは案外無意識に上がったり下がったりしてしまいます。でも足は知っています。今足先が上を向いているのか下に向かっているのか。足の裏も知っています。今いるところが尖って乾いているのか、くぼんで湿っているのか。尾根歩きと谷歩きでは足の感覚がまるで違って、足の感覚を鍛えると、山で自分がどこにいるのかわかるのだと。とっても方向音痴な私には憧れてやまない感覚です。でも、今回意識して歩いてみて、尾根の感覚と谷の感覚は違うことを実感できたので、もしかして方向感覚も身に付けられるのかもしれないという希望は持てました。平地では迷子になり放題でも山では迷わない。いつも私を囲んでくれている山々がより一層頼もしく温かく感じられます。

 

 さて、地形がわかると歩き方がわかります。山のどこをどう通ったら人にも山にも一番無理なくやさしいのかを学ぶと、山に道をつけることに近付きます。山に道を付けることは野生では必要がないことかもしれません。けれど山を生産現場とする人の営みには通る場所を決めておくのは必要なことで、適切に道を付けて手入れをしていくことが山管理の肝になる、のだと教わっています。搬出のために突貫工事をして目的を果たせば終わりといういわば雑な道の付け方も実際行われてしまっていますが、山の未来を考える林業の仕事としての道作りは、ずっと使える大切な道でなければならないのです。

 私もまだまだ感覚が通っていなくて言葉足らずでもあるので、北海道の自伐型林業家さんの発信で補ってもらいますね。

portal.hokuryu.info

 高知県林業家さんのnoteにもさばさばとわかりやすい山と道の記述がありました。山と共に生きる人たちの発信や意見交流はとてもとてもためになります。

note.com

 林道、作業道、登山道と山の道にもいろいろあります。簡易舗装の林道などは誰でも通れる道で生活道としても使われることが多いですが、作業道は基本的に林業のための道なので、勝手に入り込まないよう一般の人は意識しておかなければいけません。作業のために工夫して苦労してつけた財産の道なので、山歩きは登山道に頼りましょうね。

 登山道もまた誰かが作ってくれて、管理してくれている道です。世間のしがらみを離れて自然に触れるために山を訪れる人は多いですが、そんな時も山に関わる人々のおかげさまで歩くことができるのですね。山の学びとは逸れますが、どの山も誰かのものであるというのは大事なことなので、記述しておきますね。

 

 山を歩いている時に地形と同時に意識しておくといいのは、水の流れです。

 山に木が生えているのは、根っこが水とつながっているからです。土と木が一緒になって水をつかまえていてくれるおかげで豊かな緑の風景になりますが、雨の通り道や地下水の道などを水の見えない時にもわかっておかなければ山の管理はできません。

 土砂崩れ、地盤沈下、山体崩壊

大きな自然災害に思えますが、原因は案外人々の勉強不足にあることも多いです。

 山に守られて水に恵まれて生きていくためには、地形と水を知らなきゃいけませんね。その時は乾いて見える道に雨が降ったらどうなるのか。大雨が降ったらどうなるのか。地形を見て土の様子を見て、適切に判断して道を管理するのも林業の仕事です。

 わぁ、どこまですごいんだ、林業家さん。そういう目で山を見て道を見ていくと、ああ、人ってすごいなぁと感心せざるを得なくなって、なんだかとても嬉しいのです。

 

 水の流れのこと、土のこと、山に残された人の暮らしのことなど、もっと多くの学びがありましたが、実際歩いて感じてみて欲しいので今回は出し惜しみです。書かずにちゃんと覚えていられるかな。こぼれ落ちたものをまた捕まえに、一緒に歩く機会があるといいな。靴さえあれば山歩きは楽しいです。楽しく、そして深い学びを。どうぞ山に呼ばれて下さいね。

 道の話が中心だったので、本の紹介も一つ。

富山和子さんの「○○は生きている」シリーズの中で、何年か前は一番わかりにくかったのですが、農村での人々の暮らしをずっと感じていると、これこそ知りたかったことだなと気付きました。

※このリンクはAmazonアフィリエイトになっています。

 

三重の木の椅子展3に突入!

11/3~11/6の4日間限定で、三重県立美術館の県民ギャラリーというコーナーで

「三重の木の椅子展3」が開催されていました。

知り合いの木工家具職人さんも主催者として出展されているということで、ただでさえ木の話は敏感になっているとき、是非行きたいものだとうずうずしてました。

 

平日はわりと好きに動ける自由人の私ですが、週末となると家族の予定やゲストハウス亀成園が優先です。津市の県立美術館までは1時間半はかかるし、ちょっと行ってくるにはややハードルが。

でも、願っていたことは不意に叶うのが人生です。最近マジでそう信じられるようになりました。

 

というわけで、行けたのですね、木の椅子展!

たまたま津で用事ができたのです。家族も合流できたのです。

せっかくなのでともくもくレストランで食べ放題しちゃったから時間ギリギリでやばかったのがなんとも抜けてましたが、それでも行けてよかった、木の椅子展。

情報発信としては後手になり過ぎて失格ですが、感想と共に。

椅子の展示に座り放題がなんといっても魅力的!

イベント詳細はFBで告知されていました。

紹介ページを引用しておきますね。FBお使いの方はこちらから入れます↓

https://www.facebook.com/profile.php?id=100085285791393

写真もたっぷり、作家さんの想いにも触れられるので、イベントは終わりましたがよかったらページチェックしてみて下さい。

FB使っていない人も画像検索などでぜひ。「三重の木の椅子展2022」が画像ヒット数が多かったです。見たらまた座りたくなってうずうずしますけどね。

以下FBイベントページからの引用です。

”〈ごあいさつ〉

私たちが暮らす温暖で多雨なこの島国は多彩な植生に恵まれた土地です。
ここに育つ様々な樹木が、家屋や家具といった生活道具として、地域の風土を反映しつつ人々の暮らしに活かされていた時代がかつてありました。
しかし今日では、そういった豊かな「木の生活文化」が失われつつあることは、皆さんもよくご存知のことです。
生産性や効率化、あるいは快適さや利便性と引き換えに、私たちが失くしてしまったもの。
それは、長い時間をかけて身近な森に育った木々の、それぞれの特性を大切に活かして使うというような、スローでローカルでサスティナブルな物作りと、生態系のリズムに合った心豊かな生活文化ではなかったでしょうか。
今回で3回目の開催となります『三重の木の椅子展3』には、県内31組の作り手たちが地元の木を使い、一点一点ハンドメイドで作った個性豊かな椅子たちがズラリと並んで皆さまのご来場をお待ちします。
座り心地など椅子としての機能はもちろん、作品としての面白さ、樹種ごとに異なる素材の木目模様や手触りなどを、まさに五感で楽しんでいただける展覧会になると思っています。
商業主義的な大量生産、大量消費に伴う使い捨ての生活文化をそろそろ卒業するためにも、そして地域木材の活用という言葉が、再び人間の都合や欲得によって自然環境に犠牲を強いる道を辿らないためにも、ここにあるもう一つの豊かさを身体で感じながら、これからの人と自然の関係について思い描いてみる、そんな出発点になったらいいなと思います。
三重県立美術館〈県民ギャラリー〉でのこの四日間の展覧会に、是非とも多くの皆様にご来場頂けますように。
 『 三重の木の椅子展3 』実行委員会”

 

これ読んだらその空間に行きたくなりますね。素材の違いや人の想いに触れたくなりますね。ピンとくる椅子はあるのだろうか、わくわくでした。

しかし、最終日だったため、会場は15時で閉まってしまい、私が椅子たちを触れ合うのに残された時間は20分しかなかったというおおわらわでした。

そして三重県内での催し物にありがちな、会場に知り合いがたくさん居るという嬉しいけど時間が~、のダブルピンチ。約束もせず不意に訪れた場所で大好きな人に会えて嬉しいのに、触れたい椅子を優先しなければならないというジレンマと闘いながら、31展(作家さんによっては作品は複数で、展示の仕方も個性的)それぞれを大急ぎで巡るという不思議な時間でした。

 

あれもこれもよかったー!なのですが、大わらわの中でどうしても気に入って2回座ったお気に入りはこの椅子。特に左側です。

このすべすべの椅子がほんとに好き

素材は杉なんです。いろいろな作家さんがいろいろな素材で製作された作品が並ぶ中、ケヤキとか桜とかに惹かれるかなと思っていましたが、杉でした。これもまた杉に囲まれて暮らし、広葉樹の重要性と可能性を学びつつも杉の軸を持っておきたい私にはなんだか嬉しい直観でした。

 

ほんとにいろいろな作品がありました。

おもちみたいな椅子、足がなくて広々とあぐらがかける椅子、バーのスツールタイプもあればキノコ椅子もあって、ひとつひとつのストーリーをじっくり伺うイベントだったのだわと珍しく後悔しちゃいます。またそんな機会があれば取り戻したいですね。

 

たくさんの刺激と心地よい場所をありがとうございます。知っている人の活動に触れて心地よくもわくわくもするってほんとうにありがたいことです。会場にあった椅子たちはこれからどこに行ってどんな人と共に過ごしていくのかな。そんな想像も楽しいですね。

 

以下、椅子についての徒然。

 

 普段は古民家の和室暮らしなので、椅子もいちおうありますが、ほぼ使うことはありません。座卓使って正座してます。でも以前から椅子というアイテムはかなり好きなんです。アクタスのお店でたまたまカタログをもらったとき、椅子のページをずっと眺めてうっとりしていました。

北欧の美しい椅子 | ACTUS online (アクタス オンライン)

 

椅子ってシチュエーションによって使い道が微妙に変わるところが好きです。

腰掛けるという動作は同じなのですが、つながる行動が食べるだったり読み書きだったり人と話すだったり。あ、全部私の好きな行動でした。だから好きなんですね、椅子。

 

絵本でも椅子はよく登場するアイテムの一つです。シルヴァスタインの『おおきな木』では木と男の子のつながりとして最後に腰掛けるという動作が出てきます。

 木と人のつながりは本当に様々ですが、腰掛けるための椅子は案外シンプルで奥深いです。切株そのものでもいいところを高さや大きさをいろいろ加工して、座る行為のために木と寄り添っていきます。

居場所としての椅子というのも魅惑的なモチーフで、そこに椅子があるから人の場所があるという感じ方もできます。「座席の確保」「お席のご用意」といった使われ方もされますね。

 椅子について思いめぐらせていると、生まれてきた子供のための椅子にも突き当たります。

特集11年目の「君の椅子」プロジェクト AFC アサヒファミリークラブ

 

私が普段座る時に使うアイテムはもっぱら座布団で、これにもまたつながるストーリーがあるにはあるのですが、イメージした時や時間の流れを考えたときによりぐっとくるストーリーがあるのは椅子ですね。それもやっぱり木の椅子がだんとつな感じはします。先日山を案内してくれた方の家にも、自分と同じくらいの年齢のイチイガシで作った椅子があるそうです。切った後もまだずっと一緒。

 

私もそんな椅子がほしいものです。

素材から知っている。作った人も信頼している。家族の時間に馴染んでいく。

豊かさの行きつくところな気がしてきますね。

 

山は人の歴史なんだな

今週のお題「地元自慢」

ご褒美でしかない山案内をしてもらいました。飯高町で何百年も親方として林業に携わっているおうちのガッツある末裔に、想いのこもった山案内と環境教育を授けてもらいました。そしてめちゃくちゃわかりたかったことにガッテン合点というすごい体験をしました。山のことや樹木のことを何もわかっていないところから私なりにめちゃくちゃ勉強してきて時間を重ねてきたことに光をもらえたような。やっぱり飯高町ってすごいなと思っていたら、このお題です。よし!

 

地元は飯高町ではない私ですが、今のふるさとは飯高町であり、子どもたちのふるさとも飯高町であってほしい。4年前にもそんなことを短く書いていました。

kamenarien.hatenadiary.com

 改めての地元自慢ですが、もうとにかく 木の種類が多いこと が自慢してもしても足りないくらいのすごいことです。標高差が大きく地形のバリエーションがあり、人の歴史が深いことが多様な樹種との暮らしを実現化させてくれています。

 

 日本は国土面積の68%が森林というとにかく緑に恵まれた稀有な国ですが、森林率は農山村と都会では異なります。日々山に囲まれていることを実感して暮らしてる国民はそんなに多くありません。なにせ平均68%の森林率ですが、農村に限って言えば75%が森林です。そして人口は3%以下という不平等な世の中。さらにこの飯高町はなんと 94% が森林という町です。いつも囲まれてて幸せだなぁ、90%くらいあるかなぁと思っていたらもっとすごかったとは。

 町の面積の94%が山で森林で、更に大きな川も流れていて、わずかな場所に人々がのびのびと暮らしている。飯高町はそんな町です。少子過疎高齢地域で限界集落まで待ったなしが近い状態でありながらも、暮らす人々はいい距離感で心のゆとりもある人が多く、いいかんじのつながりを保って精神レベル高く生きていると感じられます。だからとても居心地のいい人たちの暮らしに入っていけたのです。

 

 森があればそれでもう幸せな人ばかりであれば、里山に人は殺到して、こんなに人口の偏りはないですよね。みんな喜んで山暮らししているはずです。現実はまだ都会へ憧れる人もいる(この流れももう長続きせずに時代は動いていますが)中、元々街の人であったからこそ森と共に在る幸せを伝える役目が私にあるのではないかと、実感や学びを通してふつふつと沸き起こる想いがあります。

 

生物多様性を未来へ

里山から里海へ

見たい風景を描いて創ろう

 

それぞれ講演会もできそうなネタですね。

 

 今回実際に山を歩いていろいろなことを教えてもらいましたが、掲げられたテーマとしてあったのは

「今ある山は先人たちが作ってきたもので、私たちはそれを見ている。そしてこれから未来に残していくのはどんな山がいいのか感じて考えてみよう」でした。

現在の飯高町はぐるりと囲まれた山のほとんどに杉・ヒノキが植林されており、収穫期を迎えています。それは戦後から高度経済成長期に、林業が支える豊かな国の未来を描いて植林されたものです。先人の想いとして、緑豊かな山は今の私たちにとって宝の山なのです。まずはその想いをずっしりと受け止めたいです。

 

 杉もヒノキもとても優秀な木材で、適地があり技術もあるから事業としてこれからも植え続けられていくのでしょう。でも現実は針葉樹の材は高く売れなくなっていることもあり、後継者不足、人手不足も相まって、せっかく育った木が伐り出されず山に置かれっぱなしになっているところも多いです。田畑ですと米を作り過ぎて余っているのと同じような現象です。未来を想って開墾して鍬をふるい、管理してきてくれたのにね。

 経済林としてとにかく杉・ヒノキの植林が始まる前の飯高の山は、もっと色とりどりだったそうです。そこら中にいろんな樹が植わっていたということです。『カハダヲタベル』にもあるように人の暮らしも薪や炭を使い、山からの恵みがもっと身近だったので、栃の木やカヤの木などもっともっと沢山植わっていたのでしょう。栗や柿なんかももっと。山はもっと身近だったのです。

kamenarien.hatenadiary.com

 

 現在、飯高町の山は精力的な林業家さんたちによって美しく保たれています。手入れされた山で、荒れているという事はないです。けれど若者が皆林業に憧れるかといればそうでもない。キツクて危険で、厳しい仕事と思う人が多いです。私自身も大きな木を手入れしたり運搬したりをできる気はしないわけですが、現場で話を聞いてみるとキツさ以上の面白さが本気で伝わってきました。

 山を創るという大きな仕事で、身体を酷使する作業もありますが、とにかく時間軸が大きいので、追われている感は他の仕事より少なそうです。それってまず精神的に良さそうな気がします。キツイこともある仕事だからこそ、一緒に山を創っている人同士の連帯感は強そうです。これもまた精神的に良さそうです。もちろん会社によるのですが、先人が植えた木を間近に感じて自分がまた手を入れて、可能性を育てていく仕事は器の大きな人にむいている仕事な気がして憧れますね。話を聞かせてくれた叶林業の方は都会に出た後、いろいろ考えてきて戻り、家業に入ったそうです。林業への愛と誇りを多くの子どもたちに伝えてくれています。小学校の子どもたちと一緒に歌う「木の歌」の作詞もしてくれた地域で人気のお姉さんですが、うちとは違う学校なので、木の歌がすぐに出てこないのが私には苦しいところ。山を歩きながら木の名前、歴史、裏話などポンポン出て来てほんとに心地よかったです。ありがとうございます。

 

案内してもらった山の写真にいいのがなかったけど、木でつながる飯高町の素敵な会社であるもくいちさんのブログにちょうどありました。スッと真っ直ぐ伸びた木は、人が手を入れたもの、でも山でしかない眺めですね。美しさと可能性を感じます。

叶林業さん山案内 – もくいち・マルゴ株式会社

 

 叶林業の目指す山は、経済林として成り立ちながら、多種多様な樹があり、樹を切ったその先にいる人々を考えて創る山なのだと。今回見せてもらったイチイガシという樹はとても固くてまっすぐで、昔から弓を作るのに使われてきたとか。修学旅行生に人気の木刀の材にもなり、槍にもなると聞けば、『精霊の守り人』ファンとしては興奮スイッチ入りますね。

 テーブルや椅子などの家具を作るのにも、野球のバットを作るのにも、バイオリンなどの楽器を作るのにもそれぞれに合った木材が要ります。誰かが何かを欲しい、作って欲しいとなったときの材料を育てておきたいという林業家の想いがあります。数十年先にちょうどその木が必要とされる機会があるかどうかはわからないけど、もし「こんな木をこう使いたい」という誰かの想いにマッチするための場作りが為されているとは、感服しました。

 葉っぱをこすると泡が出る木も、湿布のにおいがする木も、保存食を包むのに葉っぱが使われる木も、神話に出てくる木などもいろいろと植えられ、育てられています。実在する樹木図鑑、解説してくれる人付きというとても贅沢な学び場でした。

 

 日本は本当に木とのつながりが強い歴史があります。神話などの記述に触れている家具屋さんのブログ記事も自分の見返し用に貼り付けておきますね。

古代から現代における木の文化と使用方法|オーダー家具「家具蔵(カグラ)」 [2017年08月04日]

 

 山の学びはまだこれからも続きます。私がこれからどう林業飯高町と関わっていくのかも少しずつクリアになっていきそうです。

 貼り付けるところがなかったけれど、林業について前向きな人材育成サイトがありましたので、これも備忘録に。子供たち憧れの職業は年々変わっていっているのだから、林業や農業、漁業が入る可能性もありますね。猟師だって養鶏だって、本気の大人に出会って夢見る子どもたちの未来があります。亀成園の裏山はどうなっていくかな。いい意味で頭がこんがらがっている楽しい時代です。それもこれも飯高町の豊かな樹木とそれを取り巻く人々のおかげさまです。

www.ringyou.net

 

 

大きな試験を終えて

9月中旬は確かに頑張って勉強しておりました。

連休での台風2つは観光業の者には打撃なのですが、私には時間ができたチャンスと思えるほど、時間が欲しかった。

 

無駄に大きな学歴のある私ですが、試験とかテストとか実はちっとも得意ではありません。ちゃんとわかってポイントを押さえていないとできないように作られているのがふるい落としをかける試験というものであり、小学生から大人まで、その試験に対してまたは周辺の事柄に対してどれだけの時間とエネルギーを使ってきたかが問われる場なのです。

読み書きに不安はなくてむしろそこだけは得意だというアドバンテージはあります。

けれど、ちんぷんかんぷんの分野を楽にすり抜けられるほど、世間は甘くありません。

 

5月末から勉強しなくてはいけないモードだったのですが、合間を見てはテキスト読んだり問題眺めたりはしていたのですが、なかなかスイッチが入りきらず、モードが大きく変わったのはほんとに九月半ばでした。

 

そこから2週間は急にピリピリして、とにかくマジで時間が惜しかったです。いつも無駄に使っていた時間が流れていたのだということをやっと痛感しました。

いつも以上に家事はさぼり、発信活動の仕事もできる限りセーブして、愛想も悪く、自身に集中するように心がけました。とはいえご飯は用意しなくちゃいけないし、ゲストとのやり取りは大事な仕事だし、無事到着されるのかどうなるのかは気に懸かるし、学校のことだったり家族のこともいろいろ配慮しなくちゃいけないのですが、

「ごめんけど、今は無理!」 という雰囲気を必死で作っていました。

 

愛想のよさで世の中を渡ってきた私にはとても珍しいことなのです。

失礼があったかなと気にしたらキリがありませんが、モードを切り替えなくちゃ勉強なんてできません。試験に挑むなんてできません。家族にはとても迷惑をかけていたと思います。

 

というわけで、なんとかたどり着いた試験だったのでした。

あ、えらそうな画像になってしまいましたが、まだ受けただけの段階です。

受かった落ちたは先の話。

でもなんだかその日を見据えて走って行って、できるだけのことはしたという満足感が強くて、合否はまあどっちでもいいかという気分です。難しかったのですから。

 

ちなみにこんな試験なのです。5月末に思っていたことが眩しいです。

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森林インストラクターのための支援講座というのを四日市まで月2回の日曜日に受けに行っておりました。幸い全講座参加することができて、三重県森林インストラクター会のたくさんの先輩にお世話になり、有難過ぎました。模擬テストは散々な結果だったのですが、優しいコメントをたくさん書いて、応援してくれたのです。森林を守る素敵な人たちの後輩になれるかどうかは結果にかかってきますね。チーンってことになるかどうかもきっともう決まってますね。ドキドキですがこれもまた仕方のないことです。

チャンスは一回ではないので、今年の結果はどうなのかを待つのみです、今は。

 

自分が資格を取るために勉強するというのは、ある程度日常に影響を与えるので、家族の支えが不可欠でした。小さな子たちはどう応援していいのかもわからず、母のいない時々の日曜日を文句も言わずに乗り越えてくれました。お詫びに試験後に名古屋駅でういろうをお土産にしたけど、そんなのでよかったかな。要る時とのメリハリがついたのか、この期間を経て末娘は甘えん坊さんになりましたね。しばらく充電を心がけます。

 

母の試験前に面白かったのは長女です。

現在中学2年生で地元の公立中学に通う彼女は、来年の受験をなんとなく意識しています。真面目でテストも着実にこなしていく子にとって(親には似てません)、家人に試験前の人がいるというのは大きく心に響いたようでした。

「もうすぐやね。がんばって」とピュアな目つきを向けてもらってドギマギしましたよ。滅多に緊張なんかしない娘が、私以上に緊張していた姿は貴重でした。

 

私が今年のうちにこの挑戦をしたのは、これから先受験の続く子供たち(2年に1度、令和7年からは4年連続!あります)を意識して、子供たちを応援するためには先に背中を見せておかねばという気持ちもあったのですが、思った以上に響いたみたいでした。情けない姿をさらしてばかりでなんだか恐縮ですが、空気感に慣れることで家族が不安定にならずに支えが太くなるのならいいなと思います。落ちた背中を見せることになったらどうしようかと胸が痛みますが、それもまた役割があるのでしょう。あきらめない姿を見せるきっかけになるのですから。

 

受験なんて当事者以外にはどうってことないんだけど、周りが支えないと乗り越えられないもの。先に感じておいたので、これからのサポートができるはずです。

なんて、受験当時はみじんも思ってなかったですけね。試験を受けるのは私なのに心乱れている親の気持ちもわからなかったし、サポートしてもらってる有難さもわからず嫌な空気出しまくっていたことに今更ながら気付きました。恥ずかしさを乗り越えての感謝ですね。

 

さて、森林インストラクターになるって、今年の初めにはもう受けることを決めていたことが過去記事でわかりました。

あれって感じでしたが、予祝までしているという図々しさ。

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結果はまだ先なのでちょっと肩の荷を下ろします。この半年なんやかんや図書館に行っても樹木の本とか林業白書とかばかり借りて、読めずに返すという日々で、

小説読みたい欲が破裂しそうです。

ちょっとは読んでいましたが、後ろめたさとセットだったので堪能しきれませんでした。

秋もまたなんやかんやでバタバタありますが、読むぞー!!!!

愛想の悪い日々は続いてしまうかもしれません。