勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

両立なんかできるものか

♯仕事と子育て についてのお題が目に留まったので、兼ねてより思っていたことを少し出してみます。やわらかく書けるといいのですが。

 

 呑気な楽しい学生時代の後ようやく社会人という立場になったとき、私はなんとなくだけれど当たり前に、35歳くらいまではキャリアを積んでいっぱしの仕事をするつもりだったのです。堂々たる国家資格も特別に活かせるスキルもなかったけれど、だからこそ真新しい経験ばかりで、どん欲にがむしゃらに仕事がしたかったのです。10年以上は積み上げて、「社会における自分の人生」というものにそれなりに満足して、子供はそれからでいいと、どこから入ってきたのかそんなイメージがありました。

 

 ガラッと予定が変わってしまったのは旦那さんの駐在という大きな出来事があったからだけれど、それとて選ばなければ自分が関わることはなかったのです。本当にキャリアを積もうとしていたのなら、結婚して旦那さんの赴任に付き従う、なんてことしなくてよかったのです。けれど逆にもっと強い直感で、若いうちに子育てをしてしまいたい、との思いに突き動かされて、二年にも満たずに会社を去り(育ててくれようとしていた会社には今でも申し訳ない思いがあります)、その後十年近く思いもよらなかった専業主婦という位置にいることになったのです。自分の境遇に驚き、コンプレックスを高めることになりましたが、人生結構そんなものではなかろうか。

 絶対に子供が欲しかったというわけでもないけれど、どうせ楽しく生きるなら子供は四人以上がいいとは高校生くらいから思っていたのです。兄弟姉妹が仲良く育って、親子の絆よりも強い絆を兄弟姉妹間で練り上げて、親と別れたあともずっと助け合える関係でいてくれるようになったら本望だなと。それなら私の20代後半から30代前半は子供たちと向き合う期間なのだと腹を括りました。がっつりキャリアを積むか、がっつり子育てをするか、不器用な私にはどちらかに全力を注ぐことしかできないと思ったのです。そして先に子供を選びました。選び抜いたのです。

 

 今の世の中、「仕事と子育て」さらに自分磨きまで両立させるのが当たり前のように扱われています。スピード、時短、効率、ハイパー家電などの情報が溢れて、次々に頭を切り替えて忙しなく頑張ることこそ中年女性の務め、と言われているかのようです。そうして国の出生率にもGDPにもどちらにも大貢献する生き方は、国にとっては一番ありがたい存在だとは思います。自身で高額納税しながら更に時代の納税者を産み育てる。なかなかできることではありません。なかなかできることではありません。いや、本当にそれできるのか。それが本当にしたいことなのか。中年女性にとって。

 

 キャリアがないのは不安です。周りの友達がどんどん社会で必要な人物になっていっている風に映るのに、自分はおむつを替えて砂場遊びに付き合ってこぼれたお茶を拭いているだけだと思うと、専業子育ては結構キツイ時代でした。楽しい日々ながらもずいぶんひがんでいたなぁと当時を振り返るとやれやれです。

 同じように子供がいなくて不安になる人もものすごく多いです。仕事は仕事であるけれど、本当に自分を必要としてくれる小さな手に吐きそうなほど憧れるってこと、くっきり想像することができます。子供の母への想いはあからさまですから。私は友達に子供が生まれるとき本当に嬉しいのですが、それは赤ちゃんが可愛いからという理由ではなくて、自分が好きな友達をとことん愛しぬいてくれる存在が誕生したんだなぁと思うからです。

 

 とにかく不器用で怠け者で考察が好きで疑り深い私は、仕事と子育ての両立ははなからあきらめていました。どれだけ多くのモデルプランがあろうとも、キャリアアップしてデキる妻で母で充実人生、というのはちっとも描けなかったのです。代わりに描いたのは、子供たちが泥んこになってたっぷり遊んでいる姿。持て余す時間で大好きな本に夢中になる自分。両立ではなくその時できるただ一つのことにしっかり向き合う時間。子育て期はいつまで続くのか果てしなくて、これでいいのかととことん孤独になって、手相占いにすがったり子供のデキにすがったり、まあそれはお恥ずかしいかんじになっちゃっていたのですが、それでもなんでも精一杯一緒に居たのです。

 

 上の子が10歳を超え、下の子も一丁前に歩いて口がきけるようになってから、ようやく自分の仕事をしたいと強く強く望むようになりました。今までのキャリアがないのでまた新たな不安でいっぱいになりながらも、一つ一つ具体的に描いて自分の仕事を積み上げていっているところです。もちろんまだまだ母としての役割は大きくて、かなり子供を優先させながらなのですぐに高額納税者にはなれそうにもありませんが、これからの可能性を想うとなんともわくわくするものです。

 

 自分の人生の中で、仕事はものすごく大きな位置を占めるものです。私はまだこれといった仕事をしてきた実感がないので、明日世界が終わるとなったら悔いが残ります。けれど子供と向き合ってきた時間の眩しさを想うと、ちっとも後悔はしていないのが本心です。多少卑屈気味ではありましたが、随分楽しい豊かな日々を過ごしてきました。それならそれでずっと子供を見守っていたらそれで満足かとなれば、それはそれで違和感たっぷりなのがややこしいけれど正直な気持ちです。子供たちはとてもありがたい存在です。すこやかに素直にすくすくそばにいてくれて、こんなに愛しい存在は他にありません。だからこそお互い自立してこれからを過ごしていきたい。だから新たに前を向いて仕事をする。私が歩いていく道は途切れながらもつながっています。

 

 ♯仕事と子育て のどちらも選べなくて忙しさでパンクしそうになるなら、きっぱり選べばいいと思うのです。いつだって輝いている自分、じゃなくても、人生全体がすっきりつながっていればそれでいいです。豊かな子育てが金銭で量れるものでないのと同様、いい仕事も単に稼いだ金額では量れません。人の一生は、どれだけの人に影響を与えたかで決まると聞いたことがあります。それもきっと単に影響を与えた数ではなく強さ深さ大きさなど。器用に両立するよりも、辛抱強く一つのことに心を込めることで人は磨かれていくのだと思います。私はまだまだ道半ばですが、現代の風潮に逆らってきた中年女性の一人として、割り切る潔さを主張することだけはしておきたいです。