勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

中学生と共演の機会

 2020年は明けても暮れてもコロナで過ぎていきそうで、多くのお祭りやイベントが中止になっています。わいわい会えていた人に会えないという意味では寂しくもあり、イベントが重なる時期は本当にせわしなかったので、なくてもなんとかなってホッとしているというのもあります。子供が多く、地域のイベント毎に関わることが多かったので、今年はどうしたってペースダウンすることになり、神経は休めているようです。あまり重なるとどうしても躁状態になりますからね。助かっているという人も案外いるのではないでしょうか。もちろんずっとないのではなく、次への期待を高めながらです。あまりに出番がなくでも人間空しくなり過ぎてエネルギーがなくなってしまうもの。沢山の人が必要とされるお祭りやイベントはやっぱり大きな価値があるのですね。

 

 この三年程、縁あって管楽器好きが集まって、小さなアンサンブルを練習しています。週に一度のゆるりペースですが、先生のトランペットが有名なこともあり、元々子供たちと一緒に文化祭などで演奏していたこともあり、年に数回は出番がありました。今年は出番を増やして介護施設などへの慰問演奏が予定されていました。それらは当然軒並みダメになり、文化祭も地域の祭りも演奏会も一つも本番がなく粛々と練習するのみと心していたのですが、先週一つだけ演奏の機会に恵まれたのです。ひょんなきっかけで9月頃から準備を始め、かなり楽しみにしていた本番は、中学校の文化祭で創作部との合同演奏でした。

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illustAC 鶏とトランペット

 飯高の中学校では部活は限られています。野球部、テニス部、バレー部、そして唯一の文化部である創作部です。運動に縁がなく吹奏楽部をなんとか続けてきた身には創作部は一番親しみを感じていました。決まった活動ではなく手芸をしたり折り紙をしたりでもいいそうなのですが、たまたま音楽の得意な子が在籍していたことから、保護者のいる私たちの金管アンサンブルと合同で演奏できないかという話になりました。中学生が受け持つ楽器はピアノ、ドラム、トランペットと木琴・鉄琴です。いつもアンサンブルで使っている楽譜どれもが使えるわけではなく、ピアノもドラムもそろっている譜面は限られていたのですが、先生が書き換えてくれたこともあり、2曲を合同演奏できることになりました。『世界で一つだけの花』と『やってみよう』です。他に金管アンサンブルだけで『紅蓮華』を演奏しました。かの「鬼滅の刃」の主題歌は、この先どうあってもグループホームなどの慰問演奏で使うことはなくて、練習するだけでお蔵入りになりそうだったので絶好の機会でした。合同練習は片手で数えられるほど。別々で練習を重ね、息を合わせて、テンポの違う3曲を会場の手拍子に合わせてなんとか吹き通し、本番を終えることができました。完璧な演奏とはいかないものの、練習してきた音は出せた手応えです。周りに支えられまくってのつたない音ですね。

 

 この4年は子供たちと一緒にトランペットの練習を細々続けていますが、中学校の時はドラムに夢中だったので、ドラムと共演できることはめちゃくちゃ嬉しかったです。担当の子は小学校4年生から市街地までドラムを習いに行っており、普段はCDで曲を流しながらドラムだけで練習をしているのですが、合奏になっても堂々と叩いてくれて、リズム感やスタミナがうらやましいほどでした。体力のない身でドラムを叩くと腕より先に足がバテテしまうのです。一日中でも叩いていたいのにとても体力がもたなくてすぐヘロヘロになって結局上達しなかった過去にこっそり涙を光らせながら、小学校から知っている子が立派にビートを打ってくれて感激ひとしおでした。

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illustAC ドラムセットを演奏する牛

他のメンバーのピアノもトランペットも回を重ねるごとになめらかになり、嬉しくてちょっと悔しくて。木琴・鉄琴も初めはたどたどしく叩いていたのがどんどん粒がそろっていい音になりました。主張の強い子ではない分、楽器を通して楽しさや喜びが伝わり、いい機会になったのだなと見守ることができました。

 

こちらのメンバーはトランペットが3本に、フレンチホルン、トロンボーンユーフォニウムが一本ずつ、6名の中年壮年世代。中学生を前面に出して後ろで引っ込んでいるくらいがちょうどよいのですが、楽器の特性上前に出ることになり、しかもだんだん演奏が必死になってきてしまい、サポートするよりされる側になってしまったのではないかというのは心残りです。他の生徒や保護者の方々、地域の方々など、はりきる金管アンサンブルの中年壮年より創作部の頑張りを見てくれたかなと是非聞いてみたいものです。墓穴を掘りそうなので面と向かっては聞きづらいのですが、子供たちのかっこいいスナップショットが残されていて欲しいものです。なにせ彼らは動画世代というのか、練習もいつも動画で残されていました。古い者としては録音の音だけでも冷や冷やするのに大きく画面に映されて、毎度身を縮ませていたのもよい経験だったのでしょうか。

 

音楽は世代も国境も超える。そんなことを言いながらも実際に超えることはなかなかなくて当たり前なもの。細々と続けていられるだけで充分恵まれているといつも家族に感謝ばかり。それが今回ちゃっかり世代を超えてつながることができました。これからどうなるかはまだわかりませんが、これまで続けていてよかったのだなとこっそりニンマリです。

 

音楽は大事だけれど自分にとって文学には敵わないのです。

山岳<音楽<文学 が嘘偽りのない私の価値観。

アウトドア派に見えて明るく見えるけれど実は引きこもりがちで陰鬱な己の姿を認めたからこそ、ありがたく音楽と向き合うことができます。いつか動画をアップロードできる機会はあるのかないのか。地道にステップを重ねるのみです。