勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

小規模校の交流は海山の恵み

三重県内でも感染者が増加しており、北部地域ではほぼ緊急事態となっております。一方で南部や過疎地域は依然として悠々とした暮らしが続いております。元々密でない暮らしを選んだり余儀なくされて、都市の便利さを享受できていない人々があまり窮屈な思いをせずに暮らしているのは、暮らし方の違いが良くも悪くもくっきり分かれたというだけのことです。なので過疎側が肩身の狭い思いをする必要はないのですが、人々のオフライン交流がほとんどなくなっているらしいこのご時世で、細々ではありながら新しい交流の輪を広げている話をするのは私としても気が引けるのが真情です。とはいうものの、今こそあえて田舎暮らしをする良さを声を大にして言いたい時でもある。勝手に板挟みになっておるので、あまり声を大にせずボリュームを落として、今年6年生の長女が体験した素敵な交流を記録しておきます。

 

子供たちの通う小学校は現在全校14名の小さいけれどとても素敵な学校です(※親子山村留学性随時募集中ですよ!)。町内のもう一つの小学校と年に何度か交流がある他、今年は松阪市内の別の小規模校との交流も行われました。コロナ渦での交流ですので慎重に慎重を期して学校側としてもさぞかし多くの緊張が強いられたと察しますが、なんとか中止にならず、長女の6年生時代は温かい積み重ねに満ちていました。

 

お相手の学校は同じ松阪市内でも海が見える場所にあるそうです。夏に5,6年生にこちらに来てもらい、山の小学校は全児童参加で一緒に川遊びをしました。市内とはいえバスで一時間以上かかり、こんな山奥まで来たことのない子ばかりだったようで、夏とはいえ冷たい川で広々と遊んでもらったのはきっと眩しい夏の一日だったでしょう。そして冬はこちらの5、6年生が海まで下ることになりました。

 

県外移住の私にとって三重県はまだ知らないことがいっぱいです。海がきれいなイメージはあって、この4年間は毎夏三重県内で海水浴に出かけて満足しておりますが、きれいな海は伊勢志摩地域または尾鷲あたりの南側と思っておりました。松阪や津は海はあっても工業地帯なのかなと、その辺りを都会と認識している私には漁場としてのイメージは持ちにくい。けれどこの辺りの人々で釣りを好む人の多くは松阪市明和町の海で豊かな釣果を得るそうで、三重の海はなかなかたいしたものです(大阪出身ということもあって、町に近い海のイメージができていますもので)。

 

 長女が交流の際に海辺で野鳥観察をするとは聞いてたので、どんな鳥が見られたのか、日本野鳥の会三重支部の方はどんな人だったのか興味津々でした。子供の校外学習にはいつも興味津々です。

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海辺のかもめたち。AC写真より

観察したところは海に近い河口だったそうで、カモメもいれば鴨の仲間も多く、アオサギカワセミもいたそうです。三重県の鳥であるシロチドリはいたのか、野鳥観察のポイントはなんなのか、野鳥の会に入会したもののまだちっとも観察眼が磨けていない私はうらやましくって帰宅した娘に食って掛かる勢いでした。詰め寄りそうになる私を留めたのはお土産にもらったというあおさの佃煮でした。

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あおさの養殖風景。AC写真より

松阪でもあおさが採れたのですね。はなはだ無知で嫌になりますが、採れて商品化もされていたのです。HPを拝見したところ、山と海をつなげるなんとも素敵な会社です。

www.kotobuki-fr.com

 

山から海を訪れた子供たちが、小学校の交流を通じて素敵なおもてなしを受け、海のお土産までいただいてきました。それを支えてくれたのは小規模校2校であり、地域の人々であり地元の大事な食品会社だったのです。どこまでも恵まれた長女の日々に、目頭が熱くなり、あおさの香りで鼻が開き、舌がとろけたのでした。

 

二校の児童は密を避けながら共に給食を食べ、長女は初めて並んで給食を配ってもらう体験をしたことを話してくれました。こちらの学校では人数が少なすぎるためランチルームで当番さんが配膳してくれて、席につくときには並べられた状態なのです。教室で給食を並べてセルフ食堂式で受け取るやり方を我が子が知らなかったことに気付いていませんでした。ひとつ一つの体験を新鮮に前向きに受け止めるからこそ、多く恵まれる星にいるのだなと微笑ましかったです。

 

交流のために松阪市街地まで下ったので、ついでに松浦武四郎記念館にも寄ってきた児童と先生方。少人数でフットワークが軽いからっていつもスケジュールが盛りだくさんです。そしてそこでもまた学芸員さんに熱くお話を聞かせてもらったそうで、学ぶことが両手で足りなくなっていました。松浦武四郎記念館は今年春からリニューアル工事だそうで、その前に訪れておこうと思っていたので、学び直しです。コレクターとしての松浦武四郎展示があるそうで、楽しみです。

松浦武四郎記念館

 

小さな学校で一所懸命日々を送りながら、交流をして発表をして、いい体験が目白押しの小学校生活ももう少しです。卒業旅行も行けないかもしれないし、学校が続くかどうかもわからない。それでもこんな年でもあれよあれよと体験学習を積み重ねてきた長女はやはり運の強い人なのだと思います。ずっと近くで支えてくださっている先生方はもちろん、各地で関わってくださった全ての人に感謝します。まだまだこれから一緒に三重の魅力に魅了されていきたいですね。