1月から地域の短歌サークルに入れてもらい、毎月2首を公民館だよりに載せてもらうサイクルになってきました。地域の方の日常を切り取った一コマである短歌は、私も長年楽しみにしておりましたが、載る方になってみて、予想以上に読者が多いことを実感しております。声をかけられるとタジタジになりますが、何も言われなかったら寂しいもの。皆さんのちょっとしたほっこりとか「ほほぉ」につながる言葉を届けていきたいなと思いながら100日程を過ごしています。
サークルは月の真ん中くらいにあり、お便りが出るのは月初めです。
2月に載せた歌は下記
「広大な言葉の海で立ち泳ぎ三十一文字(みそひともじ)の救助ボート
いつも2000字程度で綴る習慣の私にとって、短歌の世界は全くの挑戦で、決意表明としてこれから始めました。
もう一首は
「丸い皮円満包む餃子会具材内訳幸福至極」
楽しかった餃子会を漢字いっぱいで閉じ込めました。
もう一つお便りには載せていないのが
「寒風にズシリつまったランドセル『持ってあげたい持っちゃだめだい』」
冬休み明けの登校で末娘を見送った一場面。
3月はその末娘が登場しました。
「乗りたてのチャリで暴走末娘自由の翼ちぎれんばかり」
どうも漢字が多くなってしまい、まだ滑らかさが足りないと自省中。
でもこの姿は今しか残せないので、押し込めてみました。
自転車で走る姿を見かけた人がほっこりしてくれるといいな。
地域への報告を兼ねての一首は
「続々と新入生らたどり着き香肌あちこちざわめき時代」
香肌小学校の親子山村留学の取り組みによって、子連れ家族が増えてきました。
過疎の端っこみたいな地域には驚きの動きで、嬉しいけれどなんだか落ち着かない気持ちもあります。
在原業平の有名な歌に「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」という歌があり、なんだかこの気持ちが根底にあります。嬉しいけれどざわざわしてしまう変化に弱い、でも期待してしまう人の気持ちが込められていると感じてもらえるといいな。このざわめきは実はまだ続きますが、いい面を見ていきたいなというメッセージをこめました。
もっと自身の瑞々しい感性を切り取りたいと願いつつ、固い報告のようになってしまう脆さを抱えてしまいますね。
おまけの歌は素直に
「のそのそとニホンカモシカ侵入しどうにもできず挨拶をする」
という、奥山と里山の境目あるあるを表してみました。最近カモシカの出没は甚だしく、結構地域の困りものになっていますね。こちらのほうが共感を呼びそうですが、移住促進の宿命を出してしまうのが私の強みなのか弱みなのか。
4月に出るのはこれ
「制服着て多幸良の丘を巣立つ朝六年ここで大きくなれた」
次女の卒業式がありました。小学校のある丘の名前を入れて、6年無事に学校が続いてくれたことの感謝も込めて。私にとっては涙ぐみを止められない万感の一首。
かなり気を抜いてもう一つは
「南風まとわりついてじゃれついて君がはしゃいで私のすり傷」
短歌で詠む「君」は人によっては恋人だし、身内のこともありますが
私の場合は、うん、愛犬ですね。時々登場するようになるかな。
短歌や俳句、川柳はとてもとても短い歌で、作者不詳でも共感を呼んだりぐっとくるのがたどり着きたいところではありますが、地域のお便りに載る歌は、「あの人の」が垣間見える面白さも大きいです。私も何年もある家族の日常を楽しませてもらってきて、少しずつ大きくなっていく子供たちの姿を思い浮かべて感心していました。そこの子供たちはもうだいぶ大きくなってきたので、より小さい子供のいる私と一緒に仲間入りした新メンバーが詠む子供の姿は、きっと地域のほっこりになるのでしょう。
あれこれと五七五七七に言葉を当てはめる練習を重ねて来て、いくつか気付いたことがあります。
当たり前ですが、文字数だけでは歌にはなりません。すぐに標語のようになり、ちっとも他人の心を震わせられません。風景を表現しただけとかありきたりの様子とか、31文字の短さを活かせられていないとか、ハードルに気付く快感があります。
こうだと失敗という一例はこれかな
「満開の桜の下でお花見を駆け回る子ら眩しい姿」
お花見は要らなさそうだし、詠み上げてみてなんだかカタカタした感じがあります。
だからどうなればというのは私にはまだわかりませんが、10のポイントを教えてもらったので覚書しておきます。
推敲チェックポイント(笹 公人さん作です)
・歌の意味が読者に伝わるか
・内容を詰め込み過ぎていないか
・意味が重複している語句はないか
・慣用句を使っていないか
・手垢のついたオノマトペを使っていないか
・歌があらすじや説明になっていないな
・安易に「悲しい」など書いていないか
・オチを言ってしまっていないか
・動詞が3つ以上ないか
・調べが整っているか
ぎょへー!なかなか難解なハードルです。でも確かにと納得することばかり。
こういう細かな制約があって、間口は広いけれど突き抜けるのは並大抵じゃないからこそ、短歌というジャンルは1000年以上もそのままつながっているのですね。
感謝の貼り付け書籍です。
さて毎日手帳に短歌を詠もうと決意を上げていましたが、とてもスピードが追いつきませんので、歌集から書き写すことを続けています。
最近撃ち抜かれた歌集がこちら
2009年に90歳で亡くなられた杉崎恒夫さんという方が70代80代の頃に詠んでいた作品集で、言葉の重みや鋭さを感じてとても素敵です。
機関銃のように撃ち抜かれてしまいましたが、ランダムに2首だけ写すと
「半分のいのちとなりしタマネギの切り口がすこし膨らんでくる」
「バゲットを一本抱いて帰るみちバゲットはほとんど祈りにちかい」
ああ、こういう切り取り方をしたいのだと眼が晴れた気持ちです。
ひらがなの効果とか臭い立つ余韻とか、詠む人を意識しているような無視しているような、歌人ってすごいなと胸打たれるのはなんて嬉しいショックなのでしょう。
3か月に1度くらいまとめて振り返っていきます。
純度が上がっていくのを乞うご期待!