勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

乗り越えるのみ

人間関係で悩むのはもう嫌だと思いつつ、まだまだ修行が足りません。

それでも悩んでもがいて突き抜けるたびに大きな学びや発見もあるので、できるだけありがたく受け止めるようにしています。

「あ、そういうことやったんか」

「モヤが晴れたー。気持ちいいー」

という前向きな感覚は、悩みごとなしには得られなかったものですからね。

先日起こったのは、なんだかぎくしゃくしたままスルーされてしまっていることに、思った以上に傷付いた自分を見直してみたことです。

相手にとっては無視、というほど意図的ではなかったのでしょうが、以前のような親しさは急になくなり、これはまあ避けられているなぁと。事情もあったのだとは理解しますし、無視っぽいなというのが私だけの思い込みであってもそこそこの期間続くとキツくて、なんとかしなきゃいけないと一念発起しました。軸を整え直そう。

 

そんなに悪気はなくても気まずさからなんとなく無視してしまうことってかなり誰にでもあることです。そこを責める気はまるでなくて、私にとって大事なのは傷付いてしまう自分をどうやって守るかです。そして二の轍を踏まないように肝に銘じることです。

ぎこちなさを作ってしまった原因は多分私にあって(疑問を投げかけた)、驚かせたことに対して謝ったことは伝わったはずでしたが、そこからのぎくしゃくはなんだろう。

他人の心理は私ほど単純でもアップデートしやすくもありません。整理して言うべきことを伝えたら、もうわりと少年漫画式にすっきりするというのはこちらの勝手な都合ですね。冷却期間に考えるところはあるんだろうなと理解はするものの、だからといって待てば海路の日和ありとも思えず、期待を手放すことで自分を守るシンプルな選択をしました。

 

ちなみに無視って自分は軽く傷つきを表現しているつもりでも、相手にも自分にもダメージがあって当然と思っておかないと、怖いですね。

気にしない気にしないと自分をだますのは危ないです。

courrier.jp

さて私が改めて距離を置こうとしたことで、流石にまずいと思われたのかな。その心理はよくわかりませんが、また改めて話をしなくちゃいけないことにはなりました。でもなんだかご都合が悪いみたいですぐには進みません。まぁ大したことでないと思われているのでしょう。それもまた傷付きますが、学びの糧にするしかありません。

どんな思いが隠れテーマであったのか、ここからどう立て直していくかが課題であるし、受け入れて向き合って学んで活かすチャンスです。

 

どんな話ができるのか、主張し合ってばかりで不毛にならずに済むように、事前学習をしておきました。こういうすれ違いの時に起こりがちなことをチラホラ調べてみるという、そんなこと今までしたこともないわぁという心理学に踏み込みました。

この記事はかなり長いですがめちゃくちゃわかりみが深くて、わかっていれば相当数のすれ違いが防げるのではと目から鱗の心理学でした。

misachisalon.com

誤解されたなと感じた時にしてはいけないことは

・弁明をする

・時間を置く

上記2つなのですって。

やるべきことは(記事からリンクを飛んだワークに記載してあります)

1 どんな風に誤解されているのか書き出す

2 その状態と反対の状態を書き出す

3 反対に向かって自分の行動を改めて積み重ねる

 

だから私としては

1 わけもなく急に怒っていると思われているだろう

2  積み重なった考えがあっての行動であると思ってもらえる行動に変えていく

3 冷静でいる。伝える。揺るぎなくフラットでいる。

こんな感じかな。

ちょうどこれからの課題だと思っていたことと合致しているので、ありがたい限りです。

ブレずに慌てずに明鏡止水で向き合っていくことをしていきます。

 

人が自分に対してできることは沢山あっても、他人に対してできることは極限られていて

受け止める、問いかける、そのまま認める

この3つぐらいですね。

そしてそれができるには自分が満たされていなければいけないので、相手に対して動揺するなら距離をとってから自分の器を広げたり満たすことをするしかありません。多分、きっとね。

 

とまあいろいろありますが、未来に対しては

「いいことしか起こらない」

こんな自分への滑稽とも取れる勝手な言い聞かせも含めて、これからを楽しんでいきます。