勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

素直な意思表示がしたい

こう暑いと早起きとお昼寝が生きていくのに必須だと思う訳です。

早寝早起きをすればお昼寝は不要かもしれませんが、夏の夜を楽しむなっていうのもね。夜は11時近くまで起きて、朝は5時前から動いて、午後2時間くらい寝ていてもいいってなるのはどうかな。

あ、これスペインとかであるシェスタの習慣!

というわけで目に付いたお題がこちら↓

お題「いいなと思う海外の習慣」

これらの国がめっちゃ好きかというわけでもないけど、縁はありますね

学生の頃(一回生の春でした)、どうしても旅行先としてゆずれず実行したのはスペイン周遊でした。

簡単と言われていたスペイン語は一回生終わりになってもちっともこなせるようにはならず、旅先での意思疎通はめちゃくちゃだったけど、初の海外一人旅がスペインだったのは我ながら良い選択でした。ワインとフランスパンがあれば旅ができましたしね。

朝は遅めで夜遅く、お昼寝のシェスタが国民の習慣としてあるスペインでの日々で、あちこちの都市や村を移動していろいろ回りながらも全体としてゆったりしていたのは、昼間に疲れたら迷わず休むことにしていたからです。

午後の2時間くらいは街も活気がなく、うろついても仕方ないのです。宿があるなら戻って休む。横たわらなくても平和な場所でボーっとする。うろ覚えながら豊かな時間を過ごしていた記憶があります。

今でも私は午後に時間を無駄にしがちです。思い切ってシェスタを取り入れたら心身の健康にいいのではと本気で思案しちゃいますね。

 

次に取り入れたいのはフィリピンでのバースデーパーティーです。

毎年という訳でもないし、必ずという訳でもないけれど、誕生日の人(親)がパーティーを開いてたくさんの人を呼ぶ習慣がありました。特に1歳と7歳と18歳(女の子)20歳(男の子)は盛大に祝います。7歳に該当する子がいる時期でしたので、クラスメイトとして招待がきました。プレゼントは持って行くのですが、どう考えても割に合わないだろう散財のようなパーティーに何度も足を運んだものです。

シェフがごちそうを作ったり、手品師が呼ばれたり、フェイスペイントもできましたね。プレイパークにご招待のこともあったし、仮装してきたらプレゼントなんてことも。娘たちの通っていた幼稚園がそこそこ上流層が集まるところだったからなのかもしれませんが、

自分や子供の誕生日に堂々と招待するっていいなと単純に学びました。

散財に見えようが豪華にお祝いをする。日本でも節目の儀式(七五三とか)に家族でお祝いはしますが、友達の招待は聞かないですし、衣装にはお金をかけても周りにいてくれる人に費やすことってなかなかありません。

祝ってもらい待ちになりがちな日本の誕生日。「おめでとう」と言われて「ありがとう」のやり取りも悪くないのだけれど、それより堂々と「さあ、私の誕生日よ!」「わぁ、おめでとうー」のほうが性に合う気がするのです。

ひとりの子どもが無事に成長できたのは、支えてくれている人々のおかげです。その気持ちをパーティーという形で示す習慣、それにのる習慣はなんだか憧れますね。

あ、引越しやなんかのもちまきはこんなかんじですね。お福分けというのか、集まった人みなにお餅やお菓子を持って帰ってもらう習慣は魅力的なはずでした。

 

アメリカでも銀婚式や金婚式のパーティーが盛大に行われる習慣があります。家族のみならず友達も招待して、ある家の培ってきた歴史を祝う習慣もまた、しっくりくるものがあります。

どうしたって私にはアメリカ人の血が流れています。

流暢な日本語しかまともにできないし、アメリカの親戚にアテもないけれど、日本の湿り気ある習慣がどれも肌に合う訳ではありません。ついでに言えば服装もですね。40過ぎても夏は短パンで過ごしたい!年甲斐もないことばかりしていたい!

自由にはみ出すことに抵抗感がなくなってきたのは嬉しい変化です。

銀婚式まで10年程。ばーんとご招待できるかな。

 

それからまた、4年半駐在でいた中国の習慣もいいなと思うことがあります。

思ったことは遠慮しないでズケズケ言う

うん、これ、当時はなんだかいろいろとびっくりしたものですが、

産後ノイローゼにかかったときにお医者さんが仰ってました。

「中国の人はなんでもはっきり言うからうつ病にはならない」と。

うつ病にならなきゃ人前で喧嘩していいのか。ズケズケと踏み込んで相手が困っていても気にならないのか。自分さえよければいいのかー!と当時の私はやっぱり戸惑ってしまったわけですが

今は強く思うのです。我慢して何か言えないとかやめようよ、と。

言い出しにくかったとか、嫌われたくなくて言えなかったとか、その気遣い、誰の得にもならないから。言わずに墓に持って行くこともないのであれば、さっさと言う一択です。嫌われるときは嫌われたらいいし、ぎくしゃくするならそれでいい。さっさと言いましょう。

ということを強く思いますね、私。

中国の若者も大変なことはいろいろあるだろうけれど、自死を選ぶことにはなりにくいんだろうなと、これはもう憧憬ですね。気を遣うことが当たり前で壊れてしまう心になんの価値があるのでしょう。人一倍繊細な私(冗談のようですがそこそこ本気です)には寄り添うことはできても他人の心を救うことはできません。

図太くなろう!心に毛を生やそう!そのために言いたいことはすぐ言おう!

 

水と緑豊かで細やかな気遣いができる素敵な国である日本なのですが、堂々とお昼寝すること、めでたいことは分け合うこと、ため込まずに言いたいことを言うことをだんだん習慣にしていけば、もっと生きやすい国になるのではないかな。ええ、極個人的な意見ですけどね。私は子供たちにずっと笑って安心していてほしいのです。そのために学んで取り入れることがあればなんでも実行あるのみですね。

 

まずは夏休みシェスタからかしら。自堕落に磨きがかかるだけになりませんように。