勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

悠久の海で人生を俯瞰した話

毎夏一度は海水浴にという習慣を三重県で暮らしてから続けています。フィリピンにいる2年の間はいつでも行けたので有り難みが薄味でしたが(2年限定とわかっていたので一回一回を満喫してはいましたよ)、日本の本土では真夏しか海水浴向きではないとなると、海で泳げるのは貴重な日です。三重県内の海まで1時間半から2時間程度なので遠くもないのですが、川よりはよほど距離がありますからね。

当初の予定では人が少なそうな月曜日狙いでしたが台風接近だったので、日曜日のゲストハウスチェックアウト後に弾丸で行きました。道路が空いていることがわかっているのでいつでも行きやすいことは大きな魅力です。

例年はなるべく南の尾鷲市とか紀北町の川が横に流れる海を選ぶのですがですが、今年は弾丸なのでもう少し近いところにしました。南伊勢町辺りがねらい目です。

ちゃんと情報があって行きやすそうで選んだ今年の海はここでした。

www.oyahama.com

行ってみると志摩市でしたがほとんど南伊勢町なので、こちら側からですとやはり道は空いていましたし、ちょっと知っている場所がちらほらで安心でした。

夏場はシーカヤックガイドもされているため臨時休業がありますが、オープンしたてのこちらのスパイスカレー屋さんはとにかく気さくなオーナーさんが素敵なお店です。アジアンなスパイスを地物と組み合わせた試みも面白いし、場所もメニューもわかりやすいですよ。三重県の起業者養成講座仲間として応援してるので、この辺り通ることがあったらぜひぜひですよ。

tabelog.com

 

海の話に戻りますと

多分そうじゃないのに、いつか来たことのあるような海でした。

10年前に息子がまだ赤ん坊のときの海がふと思い出され、周りを見渡すと赤ちゃんも幼児も小学生も若者もおじいちゃんなんかもバランスよく居てて、居合わせただけの人々なのですが、なんだか大きくつながっている不思議な感じがしました。

例年のもっと空いた海よりも人が近くにいたのでそんな感じがしたのでしょうか。

外海ではなくしっかり囲まれた安心の内海で、砂浜からぐっと深くなるのは早い分、あっという間に海に包まれることができて、時々振り付ける強い雨もまたなんだか人生の縮図のようでした。

どなたか存じませんが素敵な背中ですね

海にすっぽり包まれるというのは、川よりもっとゆったり感があります。

海辺暮らしでない私にとっては海水浴は非日常ではあるのですが、子供の頃から年一回ペースでは体験しており、高校生から20代前半は数年に1度ペースでその時々の友達とで、子供が生まれてからはより頻繁に行う体験となりました。

これから先子どもたちが大きくなって高校生・大学生になるともう親とはそう簡単には一緒に行ってくれなくなるのだろうけれど、孫が生まれたら連れて行くこともあるのだろう。孫に懐いてもらえるかは怖々ながら、4人の子どもたちの人生とまた海が交錯することはあって、メンバーは変わりながら家族の形がうねって波のように重なって続いていくのだろう。

そんな人生の縮図をなぜかわからないけれど閃光のように感じたのです。

 

他愛ない気付きです。

悠久の海なんてわかりきった話です。

むしろ海水浴のイメージってビーチでデートやグループでバカ騒ぎであってもいいのに、海は家族と結びつきが強いなんて勘違いかもしれません。或いは海に寂しさを覚える人もいるのでしょう。そのイメージも結構好きなんですけどね。

もちろんいろいろな人がいるしイメージなんてバラバラで然りなのですが

私にとっては海はどうにも家族の場所で、それが今後も続いていくに違いないという気付きは、あまりにも豊かでありがたかったのです。

すっかり海にも慣れた上、ライフジャケットを付けた子供たちは溺れる心配もなく(荒波に引きずり込まれたらわかりませんが穏やかなうちはね)、見張っていなくてもお互いいい距離で浮かんだり泳いだりじゃれ合ったり。大きな刺激じゃなくて、じんわりいい時間ってのがこれなんだなぁとジンジンきたのです。

家族と共に居ることが自由がなくて息詰まるという場合もあるのですが、

思い込みの義務をこなしているという捉え方もできなくはないのですが、

キラキラコミュニティに属していない淋しい奴なのかもしれないのですが、

今この海で過ごす人たちが皆、安らいで明日もいい日を送るといいなと

そんな視点になったのです。

 

人生の縮図イメージは時折思いがけぬタイミングで訪れます。

40年ともかくも生きて来て、あと倍以上の時間を今世では持っているようですが、この夏感じた豊かさと同じ感覚がこれからもまたあればいい。

いつでも今の家族がそろっていなくても、どの子も自由に羽ばたいていっても、海はきっと覚えていてくれる。山も川も海も、大きく見守っていてくれる。たぷたぷのしょっぱい水は、どうにも私の好きな命をまるごと抱きしめてくれているんだなと、大きな恵みを受け止めている気持ちになったのです。