勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

デジタルタトゥについて書いておきたいこと

車移動ができるときにVoicyという音声配信サービスを利用して、憧れの方々からの話を聞くようにしています。

Voicyでも配信者によく「お題」が出され、それについて語られることでいつもと違う話が聞けたり、自分の頭では思いもよらなかった大きな気付きがあることも多く、車移動の時を狙って暮らしていますよ。家の中で聞いてもいいのですが、なんだか気が散るので、移動中という時に短く時にたっぷりな時間の中で音声との出会いを楽しむのが今のところ好きです。Voicyは昨年の秋から利用しているので、今年度は随分お世話になっています。

 

さてそのお題で12/11に出ていた「#デジタルタトゥ」について、朝倉千恵子さんが話をされていたことがとても印象的でした。

この方は女性として初めて営業の本を出された方で、著書多数、「働く貴女の応援団長」として日々細やかな、明るく力強い発信をされている素晴らしい方です。

あまり働けていないような私が聴講するのはなんだか恥ずかしいなぁとも思いながら、人と接するときや発信の機会に気を付けるために参考にさせて頂いていることも多く、

私も働いて輝けばいいんだ!という気持ちも後押ししてもらっています。

そんな朝倉千恵子さんの「#デジタルタトゥ」についてのお話をまとめると

正直者がバカを見ない時代という一言でした。

うっかりの失言も全部残ってしまうから、発信には気を付けなくてはいけない。

でも全部残るから、真摯な発信が信用・信頼につながることもあり、孫子の代々先まで自分の発信していることを見てもらうことができるすごい時代であると。

デジタルタトゥは基本的には「残るから気を付けなさい」という時に使われる言葉です。うっかり書いてしまった誹謗中傷や名誉棄損に当たるようなアンチコメントも、自分は匿名のつもりでも悪事はバレることになり、すべて露呈することを心しておきなさいというのが先です。ネットをそういう感情のはけ口や嫌がらせに用いるというレベルの低いことに使うのは問題外として、真摯な発信を積み重ねている人にとっては、残るという事は逆にありがたいことであります。

自分の言葉に自信と責任を持って生きていると、デジタルタトゥは味方してくれるという内容だと、都合よく解釈させていただきましたよ。

 

ここ最近何度も繰り返し書いておりますように、

私はもうすっかり文章ナルシストで、自分が書いたものを読み返すのがとても好きです。字が美しい部類ではないので手書きの日記などは読めたものでなく、郵便物が宛先不明で返ってきたらその字につっこみたくなるくらいなので、

デジタルで残せることはとても有難いのです。

整理整頓も不得手な身に、検索で探せるWebの世界は最高です。

PCで保存していてもどこにあるのかわからなくなること必至なのですから。

 

以前に書いた文章でも読み返してみると驚くほど主義主張は変わらなくて、出来事に対してそのとき自分が感じたことや考えたことをその時にしか出てこない言葉ですっきりまとめているので、

あー、あんなこと書かなきゃよかったはないし

人に知られたら終わるようなこともないです。誰が読むのかわからないけど私を知る人にも知らない人にも気に入ってもらえたら嬉しいです。まあそうじゃなくても私は気に入っているから十分それでいいな、というスタンスで書いています。

ブログに限らずSNS大体そうですね。

イイねもコメントもなくてもいいし、あってもいい。親しい人がチェックしてくれなくてもいいし、意外な人に届いていてもいい。なんだか本当にWeb上にたゆたっているだけなのです。

 

が、ここに来て、改めてデジタルタトゥの話を聞いて、自分の発信はどこかの誰かでななく、一番近い子供にも見られる可能性があるということに気付きました。

子供の友達とか友達の子供にだって。

もう子供世代は中高生もいるようになって、文章が読める子になら届いてしまいます。

将来は子孫皆に公開なのですね。

流石に背筋が伸びます。でも、それもなんだかとても嬉しいしかないのです。

 

文章や詩歌が残っていると、その人がわかります。

一部であっても結構奥まで見えることもあります。

未熟な表現も足りない経験ももがいている時も、その時に私が感じて書き残しておいたから、子孫とも対話することができるのです。タイムマシンで会いに来てもらえなくても文章が残っていることで、おばあちゃん、泥臭く一所懸命生きていたんだなって思ってもらえるなんて、めちゃくちゃ嬉しいですよ。

嬉しく誇らしい気持ちをしっかり持って、子孫に読ませられないことは書かないことを今まで以上に徹底して、堂々と文章ナルシストでいなければ。本当に楽しくて有難い時代です。